相撲雑学

雷電為右衛門は巨人症だった?実際の身長・体重を含めて大特集!

僕の身長は174cmで、力士の中では小兵と呼ばれる部類です。そのため、大柄な力士と対戦すると、まわしを取られて振り回されてしまうことが多く、どう攻めればいいのかよく悩んでいました。

元力士のしんざぶろうです。こんにちは!

雷電為右衛門(らいでん ためえもん)といえば、その巨体と圧倒的な強さで江戸時代を代表する力士ですね。数々の逸話を残していますが、あまりに特異な体格から「巨人症だったのでは?」と後世で噂されることがあります。

本記事では、雷電為右衛門が本当に巨人症だったのか、その真相に迫りながら、巨人症や先端巨大症といった病気を抱えつつも偉業を成し遂げた力士たちの足跡にも触れていきます。ぜひ最後までお付き合いくださいね。

相撲観戦大好き さくら
相撲観戦大好き さくら

雷電は巨人症と疑われるくらい大きかったのね。その大きさもだけど、実際どうだったのか気になるわ。

 

この記事を読んでわかること
  • 雷電為右衛門の巨人症の可能性
  • 雷電と把瑠都凱斗、一般人の体格比較
  • 巨人症と先端巨大症の違い、発症時期による特徴
  • 巨人症に苦しみながらも土俵で活躍した力士たち
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雷電為右衛門の巨人症の疑いについて

雷電為衛門の石像諏訪大社上社本宮
雷電為右衛門像と手形

雷電為右衛門は、江戸時代においてもその巨体と力で異彩を放った力士です。江戸相撲で初土俵を踏んだ際の錦絵には、彼の体格が以下のように記されています。

  • 「6尺5寸、45貫」(約197cm、169kg)

当時の一般的な男性の平均身長が155cmから158cmほどだったため、雷電の体格はまさに桁外れ。周囲と比べても、まるで巨人のような存在だったことでしょう。

後世には「巨人症だったのではないか」と推測されることもありますが、医学的な根拠はなく、当時の記録にもそのような記載はありません。ただ、彼の体格や怪力にまつわる逸話が数多くの残されているため、そうした疑惑が生まれたものと考えられます。

巨人症の疑いについて
  • 初土俵時の錦絵では、体格が「6尺5寸、45貫」(約197cm、169kg)と記録。
  • 当時の男性の平均身長が155~158cmだったため、異例の大きさだった。
  • その体格から「巨人症だったのでは」と推測されることもあるが、医学的証拠や記録はない。
  • 怪力にまつわる逸話が多く残っており、そのため疑惑が生じたと考えられる。

把瑠都凱斗(ばると かいと)と雷電の体格

雷電為右衛門の体格がいかに大きかったか、なかなか実感しにくいかもしれません。そこで、参考として現代の大型力士である把瑠都凱斗を紹介します。

把瑠都は1984年エストニア生まれの元大相撲力士で、2004年に日本の相撲界に入門しました。2006年には新十両に昇進し、2008年に関脇、そして2010年には大関に昇進するなど、素晴らしいキャリアを築きました。大関時代には、2012年1月場所で14勝1敗の成績で幕内最高優勝も果たしています。

そんな把瑠都は、雷電とほぼ同じ体格を持っていました。江戸時代や現代の一般男性と比較した表を以下にまとめましたので、その圧倒的な大きさをご確認ください。

対象 身長 体重 手型の大きさ
雷電為右衛門 197cm 169kg 長さ23.3cm 幅13cm
把瑠都凱斗 197cm 169kg 不明だが、雷電よりも小さいとされている。
江戸時代:
男性平均
155cm~
158cm
推定:
53kg
現代:男性平均 171cm 約70kg

把瑠都は2006年5月場所で身長197cm、体重169kgという雷電とほぼ同じサイズで土俵に立ち、その巨体で観衆を圧倒しました。現代でも彼の体格は特別視されていますが、江戸時代の雷電が当時の平均的な日本人男性(155〜158cmほど)と比べると、その圧倒的な大きさはさらに驚異的だったといえるでしょう。

また、現存する雷電の手形は長さ23.3cm、幅13cmあり、これは把瑠都の手よりもさらに大きいものです。この大きな手での突っ張りや寄りは、相手にとって脅威そのもので、雷電の怪力を象徴するものだったのではないでしょうか。

雷電の怪力伝説

雷電は、14歳の頃にはすでに身長が181cmに達しており、その頃から怪力にまつわる伝説が多く残されています。

  • 雷電は、峠で荷馬を担ぎ上げて大名行列を通した
  • 庭先で母を風呂桶ごと持ち上げて家に運び入れた
  • あまりの強さから、雷電の「つっぱり」「張り手」「かんぬき」「鯖折り」の4つの技が「封じ手」として禁止された

こちらがそのエピソードです。

ある時、峠を荷馬を連れて歩いていた際、正面から大名行列がやってきましたが、道幅が狭く進むことも戻ることもできませんでした。やむを得ず、雷電は荷馬をそのまま担ぎ上げ、大名行列を通したと伝えられています。

また、庭先で母が風呂桶に入っている時に突然の雷雨が降り出した際には、風呂桶ごと母を持ち上げて家の中に運び入れたとされています。

そして、力士としての強さがあまりにも際立っていたため、雷電には4つの技が「封じ手」として禁止されました。「つっぱり」「張り手」「かんぬき」「鯖折り」の4つの技は、雷電だけに課された「禁じ手」として今も語り継がれています。

雷電が禁止された4つの技についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事で解説していますので、ぜひご覧ください。

雷電のイラスト
雷電為右衛門の禁じ手4つとは?その危険すぎる逸話と相撲界への影響雷電為右衛門の禁じ手にまつわる逸話は、今も語り継がれています。その圧倒的な強さは江戸時代の相撲界に大きな衝撃を与えました。彼の危険な技が「封じ手」(禁じ手)とされた理由や背景、現代相撲の禁じ手の意義や歴史について詳しく解説します。...

 

こうした逸話が、雷電の怪物ぶりを象徴おり、江戸時代の相撲人気を押し上げる大きな要因となりました。現代の相撲界でも、大型力士は注目を集めますが、当時の人々にとっては雷電の巨体はまさに「伝説」であり、相撲の歴史において特別な役割を果たしたと思われます。

相撲観戦大好き さくら
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馬を持ち上げるって、昔話に出てきそうなエピソードね!

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巨人症はどんな病気?

では、巨人症とはいったいどんな病気なのでしょうか?

巨人症は、成長ホルモンが過剰に分泌されることによって体が異常に大きくなる病気です。特に、幼少期や成長期に発症した場合には、骨の成長が促進され身長が異常に伸びるため「巨人症」と呼ばれます。

一方、成人後に発症した場合には「先端巨大症」といい、身長は伸びないものの、手足や顔などの末端部分が肥大する特徴があります。

  • 幼少期や成長期に発症:巨人症
  • 成人後に発症:先端巨大症

成長ホルモンが過剰につくられると、極端な発育を招きます。この状態は、小児では巨人症と呼ばれ、成人では先端巨大症(末端肥大症)と呼ばれます。 成長ホルモンが過剰につくられるのは、ほとんどの場合、がんではない(良性の)下垂体腫瘍が原因です。 小児では身長が異常に伸び、成人では身長が伸びない代わりに骨が変形します。 よくみられる症状に心不全、脱力、視覚障害があります。 診断は、血液検査や頭蓋および手の画像検査に基づいて下されます。

引用:MSDマニュアル家庭版

また、主な原因は、脳の下垂体にできる良性の腫瘍で、この腫瘍が成長ホルモンを多く分泌するために発症します。悪性ではありませんが、徐々に大きくなるのが特徴です。

巨人症の主な症状としては、以下のものが挙げられます。

巨人症の症状
  1. 身長の異常な伸び: 同年代の子どもよりもはるかに背が高くなる
  2. 手足の長さ: 手足が異常に長く、大きくなる
  3. 内臓の肥大: 心臓や肝臓などの内臓も大きくなることがある
  4. 発育の遅れ: 性的な発育が遅れることがある

このほかにも、関節痛や視覚障害、頭痛などの症状もあり、相撲を取る上ではハンデとなる可能性があります。体が大きいことは有利に見えますが、巨人症の影響で負担がかかりやすい関節や筋肉が痛むことも多く、土俵での持久力や瞬発力に影響が出ることが考えられます。

次の章からは、実際にこの病気に苦しみながらも土俵で活躍した力士たちを紹介していきます。

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巨人症(先端巨大症)の力士

相撲界には、巨人症の影響を受けながらも土俵で力を発揮し続けた力士たちがいました。成長ホルモンの異常分泌によって異例の体格を持った彼らは、その巨体を活かし個性的な取り組みで観客の注目を集め、人気を博します。

しかし、巨体ゆえの健康面での苦労も避けられませんでした。ここでは、巨人症の影響を受けつつも相撲界に偉業を残した代表的な力士2名を取り上げます。

出羽ヶ嶽文治郎(でわがたけ ぶんじろう)

1902年に山形県で生まれ、身長205cm、体重180kg以上という異例の巨体を持つ力士でした。彼は成長ホルモンの過剰分泌による「巨人症」に罹患しており、この病気が生涯にわたって影響を及ぼします。

小学校入学時にはすでに161cmの身長があり、当時の日本人としては非常に目立つ存在でした。学業は優秀で、青山学院中等科へと進学しますが、最終的には養父の勧めに従い相撲の道を選ぶこととなります。

1917年に初土俵を踏み、1925年には幕内に昇進。最高位は関脇で、その巨体と個性的な取り組みが多くのファンを魅了しました。しかし、巨人症の影響で脊椎の湾曲や骨粗鬆症に悩まされ、1939年に引退を決意します。

引退後は「田子の浦」を襲名し、相撲界に貢献し続けました。

大内山平吉(おおうちやま へいきち)

大内山平吉は、1926年生まれの大相撲力士で、最高位は東大関です。身長202cm、体重152kgという当時としては異例の巨体を誇り、上突っ張りや小手投げなどの技術で注目を集めました。

また、その悠然とした土俵態度から「揚子江の流れ」に例えられることもありました。しかし、成長ホルモンの過剰分泌による「先端巨大症」に悩まされ、膝の故障なども重なり、横綱昇進の夢は果たせませんでした。

1959年の引退後は年寄・錣山として相撲界に貢献し続けます。さらに「割烹ちゃんこ 大内」を開業し、現在は息子がその店を引き継いでいます。この店舗はテレビドラマ『孤独のグルメ』でも紹介され話題を呼びました。

管理人の後輩 元力士 まさる
管理人の後輩 元力士 まさる

病気を抱えながらも力士として出世するなんて、すごいよね!あとプロレスラーの「ジャイアント馬場」や「アンドレ・ザ・ジャイアント」も巨人症だったと言われているね。

まとめ

雷電為右衛門の異例の体格と怪力は、江戸の人々に強烈なインパクトを与え、相撲人気を大きく押し上げました。巨人症の可能性ははっきりしないものの、彼の存在はその後の力士にも影響を与え、相撲界に語り継がれる伝説として今も愛されています。

現代でも大型力士が登場すると話題になりますが、雷電のように数々の逸話を持つ「伝説の力士」の魅力には、時を超えて特別な魅力がりますよね。そんな雷電の物語を通して、相撲の奥深さや魅力をぜひ味わってみてください。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。
また、次回の記事でお会いしましょう。

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