引退した力士のその後は悲惨?進路とお金の現実を元力士が徹底解説
「力士の引退後は悲惨だ」と言われることがあります。そう言われる理由は、相撲界にいたときとの落差にあります。
相撲部屋にいるあいだは、お金がなくても衣食住に困ることはありませんでした。それが引退すると、その衣食住を今度は自分で確保する側になります。
僕自身も、土俵を下りたあとに選んだのは介護の仕事でした。相撲とは縁のない世界です。
こんにちは!元力士のしんざぶろうです。
引退した力士のその後というと、親方になった人や、ちゃんこ屋を開いた人の顔が浮かぶかもしれません。
ただ、それらは引退後の進路の一部です。中学を卒業してすぐに入門した力士が関取まで上がれずに土俵を去る場合、社会で働いた経験がないまま、一般の会社や店に入っていくこともあります。
結論から言うと、引退後が悲惨だと決まっているわけではありません。ただ、住むところも仕事も収入も、周りにいる人までが一度に変わります。その落差に苦しむ人はいます。
悲惨かどうかを決めるのは、僕の役目ではないと思っています。ただ、土俵を下りた人に何が起きるのかなら、僕が見てきた範囲で書けます。
相撲界に残る道、そこを外れた人の進路、引退のときに動くお金、そして髷の始末。この記事では引退した力士のその後について解説します。
うむ。土俵を下りた者の話は、番付には載らぬ。
だが、そこから先のほうが長い。勝ち星の数では測れぬ人生が、それぞれに続いておるのだ。
引退した力士は、その後どうなるのか
引退後の進路には、日本相撲協会に残る道、部屋に関わり続ける道、そして相撲界を離れる道があります。協会に残る道には、条件と枠があります。
中学を卒業してすぐに相撲部屋の門を叩く力士もいます。そのまま十両に上がらないまま土俵を去れば、社会で働いた経験がゼロの状態から仕事を始めることになります。
その場合、最終学歴が中学卒業のまま引退することもあります。そうなると、学歴を条件にする仕事には応募しにくくなります。
相撲界に残る道は、親方に限らない
協会に残る道として広く知られているのが、年寄名跡を継いで年寄(通称「親方」)になることです。年寄になれば、現役を退いたあとも協会に籍を置き、停年まで相撲に携わる道が開けます。
ただし襲名には一定の条件があり、年寄名跡の数にも限りがあります。空きが出なければ襲名できないため、空きが出るのを見計らって引退の時期を調整する力士もいるといいます。
そして、協会に残る道は年寄のほかにもあります。
■年寄以外で相撲協会に残る道
- 若者頭 … 部屋に所属し、幕下以下の若い衆の指導、勝負の記録、前相撲の進行などを担う
- 世話人 … 部屋に所属し、相撲競技用具の運搬や保管などを担う
- 営繕 … 部屋には所属せず、備品の運搬や幟を立てるなど、国技館での仕事を担う部署(2017年の資料による)
※若者頭と世話人は、日本相撲協会の公式サイトでも協会員として案内されています(2026年8月時点)。営繕については同サイトで確認できなかったため、資料の年を添えました。
参考:『裏まで楽しむ!大相撲』ダグハウス編、KADOKAWA、2017年
もう一つ、協会ではなく部屋に残るという形もあります。僕がいた部屋にも、関取を経験しないままマネージャーとして残り、部屋の運営を支えていた兄弟子がいました。
土俵を下りても、部屋の中に仕事が用意されていたわけです。「関取になれなければ相撲界を去るしかない」と言い切れるほど、道は一本ではありません。
「引退」と「廃業」はどう違うのか
力士については、協会に残る場合も、相撲界を離れる場合も「引退」といいます。力士に「退職」という用語は使いません。
つまり、土俵を下りた時点で全員が「引退した力士」です。その先が協会の中か外かで、呼び方が分かれるわけではありません。
では「廃業」はどうか。これは平成八年十一月以前に使われていた言葉で、力士が現役を退いて協会から離れることを指していました。
同時に、年寄・行司・呼出・床山といったほかの協会員が停年前に辞めることも「廃業」と呼んでいました。力士もそれ以外も、この一語でまとめられていたわけです。
それより後は、この言葉を使わず「引退」または「退職」に統一されています。力士は「引退」、ほかの協会員は「退職」という分かれ方です。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 対象 | 平成八年十一月以前 | それより後 |
|---|---|---|
| 力士 | 廃業 | 引退 |
| 年寄・行司・呼出・床山などの協会員 | 廃業 | 退職 |
古い映像や当時の記事に「廃業」が出てくるのは、そのためです。言葉が消えたのであって、辞め方が変わったわけではありません。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館
進路の違いは言葉に出てこない。だからこそ、番付から名前が消えたあとの行き先は、ファンからは見えにくくなります。
番付から名前が消えたら、そのまま相撲界からいなくなるものだと思っていました。
若者頭とか世話人って、取組の周りでよく見かける人たちですよね。あの人たちも元力士なんですね。
なお、部屋のマネージャーという仕事については、ちゃんこ長を扱った記事のほうで詳しく書いています。
一方、年寄名跡を継いだあとの歩みについては、元横綱・旭富士のその後を扱った記事があります。
相撲界を出た人に、実際に何が起きるのか
「悲惨」と言われるときに指されているのは、収入や学歴のことに限りません。時間、自由とお金、そして周囲との関係が、同時に別物へ入れ替わります。相撲界にいたときとの落差が、その中身です。
ここからは、僕自身が土俵を下りたあとに経験したことです。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 相撲界にいたころ | 社会に出たあと | |
|---|---|---|
| 時間 | 稽古は厳しいが、そのあとは部屋の仲間とのんびり過ごせた。ただし門限があり、一日中自由という日はない | 1日8時間の勤務。残業は平均4時間 |
| 自由とお金 | 門限・兄弟子の目・世間の目。束縛は多いが、食も住も保証されていた | 束縛からは解放され、収入も増えた。ただし使う時間と気力がない |
| 周囲 | 華やかな世界 | 普通の生活。同僚となかなか馴染めない |
時間の感覚が変わる
はじめに変わったのが、時間の感覚でした。
相撲界の稽古は厳しいものです。ただ、稽古が終わったあとは、部屋の仲間たちと比較的のんびり過ごしていました。きつい時間と、そうでない時間がはっきり分かれていたわけです。
もっとも、土俵を下りてすぐ働き始めたわけではありませんでした。介護に落ち着くまでには、こういう経過をたどっています。
■引退から介護に入るまで(およそ2年半)
- 最初の半年 … 遊んで過ごした
- 次の半年 … アルバイトをしながら自動車免許を取った
- 次の1年半 … 派遣会社に入り、携帯電話の組み立てラインへ
- そのあと … 介護の仕事へ
腰を据えて働き始めたのは、組み立てラインに入ってからです。ガラケーの時代でした。
ここで、稽古のときにあった分かれ目がなくなりました。1日8時間ずっと持ち場にいるという拘束のされ方が、とても長くて苦しかったのです。
稽古のほうが楽だった、という話ではありません。負荷のかかり方が違います。稽古は短い時間に負荷が集まりますが、勤めは負荷の大きさよりも、拘束が途切れないことのほうがこたえました。
しかも残業が続いていて、朝8時に出勤して、残業は平均4時間という日々です。
帰って寝るだけの生活を、数か月過ごしました。
「一般の社会って、こんなにも大変なのか。これがずっと続くのか」
本気でそう思って、絶望していました。
この組み立ての仕事を経て、介護へ移ります。
自由とお金の感覚が変わる
次に来たのが、自由とお金の感覚でした。
相撲界にいたころ、一日中好きにしていい日というものはありませんでした。実家に帰省しているとき以外は、いつも何かに縛られています。
■力士のころ、常にあった制限
- 門限 … 毎日、決まった時間までに部屋へ戻る
- 兄弟子の目 … 部屋の中では、いつも誰かに見られている
- 世間の目 … お相撲さんがあんなことをしていた、と言われたら大事
- 背負っているもの … 国技と、その歴史
常に監視されながら生活している感覚があり、いつも自分を制限していました。
引退して、その束縛からは解放されました。
お金のほうも、力士のころは食べる場所と寝る場所が保証されていて、極端にいえば一円もなくても生活できました。そして働き始めると、収入そのものは増えました。
つまり、自由も収入も手に入ったことになります。
ところが、手元に入ったお金を使う時間がありませんでした。ほぼ毎日が仕事で終わっていくからです。
しかも、入ったぶんを全部使えるわけではありません。家賃も光熱費も食費も自分で払うので、一定は残して管理しなければならなくなりました。
休みの日は、疲れていました。自由になったはずなのに、遊びに出る気力が残っていませんでした。
ただ、あのころを思い返して感じることがあります。休みがうれしかったのは、制限があったからだ、ということです。
稽古が休みの日に出かけられる半日が、本当に楽しみでした。監視され、制限された中にいたからこそ、その半日が特別なものになっていたのだと思います。
あそこまで休日がうれしいという感覚は、そのあと味わえていません。
周囲との距離
三つ目が、周りとの距離です。
力士は華やかな世界にいます。そこから普通の生活へ移ると、何をしていても物足りなさが残りました。
同僚となかなか馴染めなかったのも、そのころです。一緒に働いているのは相撲と縁のない人たちなので、顔を合わせるたびに、自分は相撲を辞めたのだと実感させられました。
これは、収入や学歴のように目に見える条件ではありません。周りが入れ替わったことで、自分がもう力士ではないという事実を、毎日確認させられていました。
それでも、行き止まりではない
ここまで読むと暗い話に見えるかもしれませんが、続きがあります。
関取になれずに相撲界を去った僕が抱えたのが、「出世することができなかった」という思いです。相撲で挫折を経験しているので、自分はダメだという気持ちが抜けませんでした。
僕の場合、この思いを放っておくと「出世できなかった=能力が低い=自分はだめな人間」という決めつけに変わっていきました。
先に書いておくと、この気持ちは2026年8月時点でも続いています。乗り越えたという話ではありません。生きていれば形を変えていくものだと、そう感じています。
それでも、受け取り方のほうが動いた場面が二つありました。
一つは介護の仕事です。介護業界に入って、介護福祉士という国家資格を取ることができました。学歴も資格も持たないまま飛び込んだ仕事で、国家資格まで手が届いたわけです。
「自分でもできるんだ」
そう思えたことで、人生が一変した気がします。
もう一つが読書です。読書が人生を変えてくれました。これだけは本当だと言えます。
いま振り返ると、僕は相撲界にいたときも、社会に出てからも、覚悟が足りていませんでした。
というのも、嫌なことや面倒なことから、いつも逃げていたからです。何をするにも受け身でした。そのため、何をやっても辛く、いやいや向かうことになっていたのだと思います。
これでは出世するわけがありませんし、成長もありません。
その考え方を変えてくれたのが『7つの習慣』でした。生きている限り成長し続ける、学び続ける。そういう覚悟を持たせてくれた本です。
ただ、いきなり本編を開くと難解です。僕が勧めたいのは、1冊で完結している『COMIX 家族でできる7つの習慣』のほうです。とてもわかりやすく書かれているので、先にこちらを読んでおくと、本編にも入りやすいはずです。
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出世できなかったという結果を、あとから書き換えることはできません。動いたのは、その事実に僕自身が与える意味と、これから先への向き合い方のほうでした。
答えが出たわけではありません。それでも、受け取り方は変わりました。
引退後の主な進路
僕の周りでも資料でもよく見かけるのが、飲食業です。ほかにも、体力や体格を買われる仕事、介護や整骨院といった体に関わる仕事へ進んだ例があります。
いずれも、相撲部屋で身についたものが、そのまま持ち出せる仕事だという共通点があります。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 進路 | 相撲界から持ち出せるもの |
|---|---|
| 飲食業・ちゃんこ屋 | ちゃんこ番で毎日握ってきた包丁。居酒屋や小料理店で経験を積んでから開業する人もいる |
| 介護・福祉 | 体力。無資格・未経験でも応募できる求人がある(職種や事業所によって資格要件は異なる) |
| 師匠・後援会の紹介 | 力と、上下関係の中で生きてきた経験。運送・製鉄などから声がかかることがある |
| その他 | 体格や知名度。格闘技、相撲解説者、整骨院など |
飲食店・ちゃんこ屋
飲食業へ進む人がいるのには理由があります。というのも、力士は現役のうちから毎日のように台所に立っているからです。
ちゃんこ番は当番制ですが、大人数の、しかも大食漢の胃袋を満たす量を作ります。包丁を握っている時間は、稽古の次に長いといっていいくらいです。
そのため、辞めたあとに「料理なら手が動く」と考えるのは自然な流れでした。
そして、料理の道に進んだ人の中には、ちゃんこ屋の開業を目指す人もいます。僕の周りでは、まず居酒屋や小料理店に勤めて経験を積んだ人がいました。
目的は、店がどう回っているのかを間近で学ぶことと、開業資金を貯めることだったようです。
僕の親しい兄弟子は、300万円が貯まったところでちゃんこ屋を開業しました。何度か遊びに行きましたが、繁盛していて鍋もおいしかったです。
介護・福祉
これは僕自身の話です。
介護を選んだのは、選べる仕事が限られていたからです。というのも、学歴は義務教育まで、資格も何一つ持っていませんでした。
その中で、学歴も資格も問われずに応募できたのが介護でした。しかも、僕が選べる仕事の中では待遇の面でも見劣りしませんでした。
さらに、自分に向いていると思い込んだ理由がありました。周りから「やさしい」と言われることが多かったこと。そして、介護は力が必要な仕事だと聞いていたことです。
「やさしくて力があるなら、自分にぴったりだ」
そう考えて、僕は介護の世界に入りました。
もっとも、やさしいだけで務まる仕事ではないことは、働き始めてすぐに分かりました。それでも介護の仕事からは離れず、通算21年たずさわりました。2026年8月時点では、別の仕事をしています。
振り返ると、あのときの僕は仕事を「向き不向き」で選んだつもりでいて、実際には選べるものの中から選んでいました。それでも21年続いたのは、思い込みの中に少しは当たっていた部分があったからだと思います。
厳密にいえば、介護職員初任者研修のような資格はあったほうが動きやすくなります。ただ、無資格でも入り口に立てる仕事であることに変わりはありません。
向き不向きがはっきり出る業界ではありますが、相撲界を出た人にとって現実的な選択肢の一つになっています。
師匠や後援会の紹介
師匠や後援会の紹介で、運送会社や製鉄所などから声がかかることもあります。体を使う仕事では、力があり、厳しい上下関係の中で生きてきた元力士が求められやすいのだろうと感じています。
ただ、この入り方には落とし穴があります。
紹介で入社を決めると、「師匠や後援会の顔を潰すわけにはいかない」という気持ちが先に立ってしまいます。そうなると、自分には合わないと感じても「辞めます」と言い出せません。
我慢が長引くほど、次の選択肢は狭くなります。しがらみのない場所で始めたほうが、結果的に長く働けることもあります。
その他の道
ここまでに挙げた以外にも、元力士が進んだ道はいくつもあります。体格や体力がそのまま生きる仕事もあれば、まったく畑違いの世界で名を成した人もいます。
■そのほかに実例のある進路
- 格闘技への転向 … 天龍、輪島など
- 相撲解説者 … ある程度の人気があった力士が、協会を離れて相撲に携わる形
- 整骨院の経営や勤務 … 施術そのものを行うには、柔道整復師などの資格が要る
- 漫画家、小説家、パイロット、お笑い芸人
参考:『裏まで楽しむ!大相撲』ダグハウス編、KADOKAWA、2017年
料理はさ、部屋にいるあいだ毎日やってるんだよね。
包丁を握った時間でいえば、稽古の次に長いかもしれないなあ。辞めてから思い出すのが台所っていうのは、わかる気がするよ。
ちなみに、土俵を下りてから政治の世界へ進んだ力士もいます。
引退するとき、お金はどうなるのか
引退のときに動くお金は、番付によって仕組みが分かれます。十枚目(十両)以上に昇進した力士には「力士養老金」が支給され、幕下以下には「餞別」としての定めがあります。
どちらも『日本相撲協会寄附行為施行細則』にもとづく『退職金支給規定』が根拠になっています。
なお、具体的な金額は、出典に使える資料で確認できませんでした。この記事では、いくらもらえるかではなく、制度の仕組みのほうを書きます。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 番付 | 引退のときに支給されるもの |
|---|---|
| 十枚目(十両)以上 | 力士養老金。横綱・大関・三役・幕内・十枚目の地位ごとに金額の定めがあり、横綱と大関には特別功労金も加わる |
| 幕下以下(力士養成員) | 「力士養成員の引退に関する餞別」 |
十枚目以上に支給される「力士養老金」
力士養老金は、十枚目以上に昇進した力士が引退したときに支給されるものです。横綱・大関・三役・幕内・十枚目という地位ごとに金額が定めてあり、横綱と大関にはこのほかに特別功労金も支給されます。
つまり、上がった番付がそのまま引退時の金額に反映される仕組みです。
なお、力士養老金と勤続加算金を受け取ったあとで協会に年寄として勤めた場合は、年寄を退くときに年寄退職金と職務加算退職金が別に支給されます。
この記事では、力士養老金と餞別の具体的な金額を書いていません。
Web上には地位ごとの金額とされる数字が流通していますが、出典に使える資料で裏を取ることができませんでした。
事典で確認できるのは「地位ごとに金額が定めてある」というところまでです。この記事は、そこまでを書ける範囲としています。
「力士の退職金」は正確な言い方ではない
引退のお金を調べていると、ここでつまずきます。
『相撲大事典』は、力士養老金を「退職金」と言い換えるのは正確ではないと明記しています。理由は用語にあります。
力士は現役を引退したあと、協会に残っても残らなくても「引退」といい、「退職」という用語を使いません。だから、力士に支給されるものを「退職金」と呼ぶと、言葉としてずれてしまいます。
ややこしいのは、規定そのものの名前は『退職金支給規定』だという点です。規定の名称として「退職金」を使うのは正しく、力士養老金を退職金と言い換えることが正確ではない、という区別になります。
幕下以下には「力士養成員の引退に関する餞別」
幕下以下の力士は、協会の正式な呼称では「力士養成員」といいます。まだ養成の段階にある、という位置づけです。
そして『退職金支給規定』には、「力士養老金および勤続加算金」「年寄退職金および職務加算退職金」「従業員退職金」とならんで、「力士養成員の引退に関する餞別」についての定めがあります。
幕下以下の力士が引退するときにも、制度としての支給がある。ここは見落とされやすい部分です。
規定が「力士養成員」という正式名称で書かれているぶん、幕下以下の話だと気づかれにくいのだと思います。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館
退職金ではなく力士養老金なんですね。言われてみれば、力士については「引退」としか聞いたことがないかも。
幕下以下にも定めがあると分かって、ちょっとほっとしました。
そもそも力士の収入が番付でどう変わるのかは、給料を扱った記事にまとめています。
また、力士養成員と関取の境目になる幕下については、別の記事で詳しく扱っています。
髷と断髪式はどうなるのか
引退を表明した力士は、髷を落とします。国技館の土俵上で断髪式を行えるのは、十両以上を一場所以上つとめた力士で、それ以外の力士は別の場所で髷を落とすことになります。
十両以上をつとめた力士でも、部屋やホテルなど、ほかの場所を借りて行う人は少なくありません。
そもそも、昔は部屋で行うのが通例でした。国技館で最初に断髪式を行ったのは、昭和21年11月、第三十五代横綱の双葉山です。土俵上の断髪式のほうが、あとからできた形ということになります。
僕がいた部屋では、稽古場の上り座敷で行っていました。土俵の上ではなく、稽古を見るための座敷のほうです。
髷を落とす力士は、紋付袴を着て大銀杏を結ってもらいます。というのも、大銀杏は関取の髪型で、幕下以下の力士がふだん結うことはないからです。
そのため、この日は関取と同じ扱いになります。ふだんは結うことのない髪型にしてもらってから、その髷を落とすわけです。
鋏を入れるのは、師匠、兄弟子、そして新弟子まで、部屋の全員です。家族も来ていました。
ただし、これは僕がいた部屋の形です。進め方は部屋によって違うはずなので、どの部屋でも同じとは考えないでください。
その場に立ち会ったときのことを、いまでも覚えています。
とても仲の良かった兄弟子でした。近い存在だったはずの人が、大銀杏に紋付という姿で座っている。それを見て、とても遠い存在に感じました。
同時に、こみあげてきたのは寂しさでした。というのも、これでもう一緒に稽古をすることも、ちゃんこを食べることも、消灯後に食っちゃべってふざけることもなくなるからです。
いろいろな感情に整理がつきませんでした。いつもと違う別人がそこにいる感覚もあって、普段どおりに接することができませんでした。
相撲人生の終わりです。おめでとうと祝っていい場面なのか、悲しがる場面なのか、お疲れ様なのか。
弟弟子の僕からかけていい言葉が、最後まで見つかりませんでした。
そのせいで、少し後悔の残る一日になりました。いまなら、ありがとうと伝えられます。ただ、10代だった僕にはできませんでした。
土俵上の断髪式のほうも、雰囲気が伝わる一枚が日本相撲協会の公式Xに残っています。宝富士の引退相撲で、髷を落として整髪を終えたあと、家族と記念撮影をしている場面です。ここまで結い上げていた髪が、その日を境に別の形になっていることに注目してみてください。
<宝富士引退桐山襲名披露大相撲>
整髪後、家族で記念撮影。— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) May 31, 2026
参考:『裏まで楽しむ!大相撲』ダグハウス編、KADOKAWA、2017年
大銀杏って、僕らからしたら憧れの形なんだよね。
それを結った日に落とすっていうのは、へぇ〜って言ってる場合じゃないなあ。
なお、大銀杏とちょんまげの違いについては、髪型そのものを扱った記事があります。
引退直後にやっておくこと
土俵を下りた直後は、気持ちの整理より先に生活の立て直しが来ます。住むところ、保険、身分証明、そして働き口。相撲界にいるあいだは考えずに済んでいたものが、一度に押し寄せます。
しかも、その多くは相撲界の外に出てはじめて分かることです。誰かが手順を教えてくれるわけでもありません。
相撲界のルールは通用しない
相撲界では、仕事は見て覚えるものという雰囲気があります。そして、雑用は新弟子(後輩)が引き受けるのが基本です。
飲食店に入れば、箸を配るのも、おしぼりを配るのも、店員に注文を通すのも新弟子の役目でした。
問題は、その感覚を社会に出てからも他人に求めてしまうことです。
最初の一年は、たいてい先輩に可愛がられます。雑用をなんでも快く引き受けるのですから、当然といえば当然です。
分かれ目は、自分に後輩ができたあとに来ます。同じことを求めれば、後輩は「こわい」「パワハラだ」と受け取り、上司や同僚に相談するかもしれません。そうなれば、職場で孤立してしまいます。
相撲界のルールは、外に持ち出した瞬間に通用しなくなります。ここを切り替えられるかどうかが、最初の課題になります。
行政手続き
土俵を下りたら、早めに確かめておきたいのが行政の手続きです。何が必要になるかは、住まいと働き方によって変わります。
■状況に応じて必要になる主な手続き
- 住所が変わる場合 … 住民票の異動
- 勤務先の健康保険などに入らない場合 … 国民健康保険への加入
- 20歳以上60歳未満で、厚生年金などに加入しない場合 … 国民年金への加入
相撲部屋にいるあいだは、お金がなくても衣食住に困ることはありませんでした。少なくとも僕自身は、保険証も年金も、自分で手続きをした記憶がありません。
そのため、引退した直後は「手続きが要る」という発想そのものが出てきません。後回しにすると面倒が増えるので、早めに動くほうが楽です。
保険料についても、救いがあります。国民年金には、所得などの条件を満たす場合の免除・納付猶予の制度があります。国民健康保険にも、所得に応じた軽減や、事情によっては減免・納付猶予を受けられる場合があります。
引退した直後は収入が不安定になりやすいので、自治体や年金事務所の窓口で確認しておくと安心です。
免許と学歴
運転免許は、車に乗るためだけのものではありません。住所・氏名・顔写真がそろった身分証明として使えるので、銀行口座やクレジットカードを作るときにも役立ちます。
僕が免許を取ったのは、先ほど書いたとおり、引退して半年が過ぎたころです。自動車教習所に半年ほど通いましたが、アルバイトと並行していたので、授業の予約を合わせるのに苦労しました。
授業の間隔が空くと、前に習った運転を忘れてしまいます。だから続けて予約したいのですが、その枠が埋まっていることも多いのです。
そこで選択肢になるのが合宿免許です。泊まり込みで集中して受けるので、通学より短い期間で取得を目指せます。
学び直しを考えるなら、代表的な選択肢が二つあります。
■中学卒業後に学び直す代表的な2つの道
- 高校を卒業する … 全日制・定時制・通信制のいずれかに通う。最終学歴が高卒になる
- 高等学校卒業程度認定試験に合格する … 通学せず、試験だけで高校卒業と同等以上の学力があると認定される。大学・短大・専門学校の受験資格が得られる。ただし、最終学歴は中学卒業のまま変わらない
僕は後者の認定試験に合格しています(進学はしていません)。
役所の手続きなんて、部屋にいるあいだは考えたこともなかったなあ。
保険証も年金も、気づいたら全部ひとりでやることになってるんだよね。
ところで、引退したあとの暮らしという点では、結婚について書いた記事もあります。
引退した力士のその後に関するよくある質問
引退した力士のその後について、疑問に思われやすい点をまとめました。
Q1. 引退した力士のその後は、本当に悲惨なのですか?
A. 落差が大きいのは事実です。時間は、稽古のあとに仲間とのんびりできた生活から、1日8時間の勤務に変わります。周囲は、華やかな世界から、相撲と縁のない人たちの中へ移ります。
自由と収入はむしろ増えました。ただ、僕の場合は毎日が仕事で終わっていくので、使う時間も気力も残りませんでした。
ただ、そこで行き止まりになるとは限りません。僕自身は、介護の仕事で国家資格を取ったことで「自分でもできるんだ」と思えるようになりました。悲劇か喜劇かは、本人の受け取り方しだいだと思っています。
Q2. 引退した力士は、どんな仕事に就くことが多いのですか?
A. 僕の周りや資料でよく見かけるのは飲食業です。現役のうちからちゃんこ番で毎日料理をしているため、辞めたあとも手が動く仕事として選ばれやすいのだと思います。ちゃんこ屋を開業する人もいます。
ほかには、体力を買われて運送や製鉄などの現場に進む人、整骨院を開く人、介護職に就く人、格闘技へ転向する人などがいます。
Q3. 相撲協会に残れるのは親方になった人だけですか?
A. 年寄名跡を継いで親方になるほかにも、若者頭・世話人として協会に残る道があります。若者頭は幕下以下の指導や前相撲の進行を、世話人は競技用具の運搬や保管を担います。
協会ではなく部屋に残り、マネージャーとして運営を支えている人もいます。
Q4. 親方になれるのはどんな人ですか?
A. 年寄名跡を継承した人です。襲名には一定の条件があり、そのうえ年寄名跡の数に限りがあるため、空きが出なければ襲名できません。条件と名跡のしくみについては、別の記事で改めて詳しく扱う予定です。
Q5. 幕下以下の力士でも、引退のときにお金は出るのですか?
A. 出ます。『退職金支給規定』には「力士養成員の引退に関する餞別」についての定めがあります。力士養成員とは、幕下以下の力士の正式な呼称です。
ただし金額や支給の条件については、出典に使える資料で確認できていないため、この記事では書いていません。
Q6. 幕下以下の力士も断髪式ができるのですか?
A. 国技館の土俵上で行う断髪式は、十両以上を一場所以上つとめた力士が対象です。幕下以下の力士は、国技館の土俵上ではなく、所属する部屋など別の場所で髷を落とします。
僕がいた部屋では、稽古場の上り座敷で行っていました。紋付袴に大銀杏という、関取と同じ姿でした。進め方は部屋によって違うはずなので、どこでも同じとは限りません。
Q7. 「引退」と「廃業」は何が違うのですか?
A. 「廃業」は平成八年十一月以前に使われていた言葉で、力士が現役を退いて協会から離れることを指しました。年寄・行司・呼出・床山などが停年前に辞める場合も、同じ言葉で呼ばれていました。
それより後は「廃業」を使わず、力士は「引退」、ほかの協会員は「退職」と呼び分けています。力士については、協会に残る場合も離れる場合も「引退」です。
まとめ
引退した力士のその後は、関取を経験したかどうか、本人がどうしたいか、周りにどんな縁があったかで分かれていきます。親方になる人がいる一方で、相撲界を離れ、働いた経験のないところから仕事を始める人もいます。
それでも、相撲界に残る道は親方に限りません。若者頭、世話人、そして部屋のマネージャー。土俵の外側から相撲を支えているのは、関取になれなかった元力士でもあります。
お金にも髷にも、番付ごとの決まりがあります。国技館の土俵で見送られる力士がいて、稽古場の上り座敷で鋏を入れてもらう力士がいます。場所は違っても、髷が落ちる瞬間の重さは変わりません。
「引退後は悲惨だ」と言われる理由には、根拠があります。時間もお金も、周りにいる人も、土俵を下りた日を境に入れ替わるからです。僕も、帰って寝るだけの数か月を過ごして、本気で絶望していました。
それでも、そこで話が終わったわけではありませんでした。ちゃんこ屋を開いた兄弟子がいて、部屋に残った兄弟子がいて、介護の仕事に通算21年たずさわった僕がいます。
出世できなかったという思いは、2026年8月時点でも消えていません。生きていれば形を変えていくものだと感じています。
それでも、悲劇か喜劇かは本人の受け取り方しだいだと思っています。介護福祉士の資格と読書が、僕の受け取り方を動かしてくれました。答えは、まだ出ていません。
土俵に上がっているのは、番付に名前が載っているあいだの姿です。その先には、名前の消えた人数ぶんの暮らしが続いています。次に取組を見るとき、勝った力士の向こう側にいる負けた力士のことも、少し思い浮かべてみてください。
うむ。番付は、その場所の結果を記したものにすぎぬ。
だが、そこに載らなかった年月が消えるわけではない。稽古場でぶつかった数も、飲み込んだ悔しさも、土俵を下りた者の中にそのまま残っておる。
答えの出ぬまま歩いていくのは、弱さではない。抱えたまま進んでいる者がいることを、頭の隅に置いてほしい。


















