僕の初土俵は大阪場所で、慣れない環境に体調を崩すこともありました。しかし、それ以上に楽しいことも多く、地元で食べた半熟トロトロの「たこ焼き」は感動の味。駄菓子屋で食べた雰囲気も懐かしい思い出です。
元力士のしんざぶろうです。こんにちは!
「年に6回も本場所があるなんて、力士たちは大変だな」と思うかもしれません。
(実際に大変ですけどね(-_-;))でも、この6場所制があるからこそ、相撲は日本全国で愛される競技になっているんです。
力士たちは1年を通して技を磨き、ファンに最高の取り組みを見せるべく奮闘しています。そして、東京、大阪、名古屋、福岡という4つの会場で、それぞれの地域の特色を感じられるのも6場所制ならではの魅力です。
今回は、大相撲の6場所制の歴史や仕組み、そしてそれが力士やファンにどんな意味を持つのかを、しんざぶろう目線でたっぷりお話しします!
ぜひ最後までお付き合いくださいね。
元力士 まさる
- 大相撲の6場所制の概要と本場所の特徴
- 各本場所の開催地ごとの魅力と特色
- 6場所制の歴史と確立までの経緯
- 「全6場所制覇」などの名誉ある記録とその達成者
- 6場所制が力士や相撲界全体に与える影響
大相撲の6場所制とは?
大相撲では、年に6回「本場所」と呼ばれる公式競技会が行われます。この「年6場所制」は、力士の技量を評価し、番付を決定するための重要なシステムです。本場所は奇数月に開催され、東京両国国技館と地方会場で交互に行われるのが特徴です。
開催地は東京の国技館を中心に、名古屋、福岡、大阪の地方で開催されます。特に、1月、5月、9月の東京での場所は「東京場所」、それ以外は「地方場所」として親しまれています。
- 1月:初場所
- 3月:春場所(大阪場所)
- 5月:夏場所
- 7月:名古屋場所
- 9月:秋場所
- 11月:九州場所
開催場所:東京・両国国技館
開催場所:大阪府立体育会館
開催場所:東京・両国国技館
開催場所:愛知県体育館
開催場所:東京・両国国技館
開催場所:福岡国際センター
*開催日は基本的に該当月の第2日曜日を初日とし、そこから2週間の期間で行われます。(日曜日が5週ある場合など、第3日曜日となる場合もある)
最新の情報は日本相撲協会公式サイトで確認できますので、以下にリンクを貼っておきます。
⇒日本相撲協会公式サイト-年間日程表
各本場所は15日間にわたり、力士たちの熱戦が繰り広げられます。そして、東京と地方で交互に開催されるため、全国各地で相撲観戦を楽しむことができます。さらに、地域ごとの独自の雰囲気が加わることで、大相撲は一層多彩な魅力を放っています。
また、年6場所制は、力士が技量を試す場であると同時に、ファンが相撲文化に触れる貴重な仕組みでもあります。このように、多様性と全国規模での開催が、大相撲をより魅力的な存在にしているのです。
年6場所制、正直とても忙しかったです。特に地方場所は、荷物を準備して送ったり、新しい環境を整えたりとバタバタの連続。やっと生活に慣れたと思ったころには、もう東京の部屋に戻る時期が来て、落ち着く暇もありませんでした。
それでも、地方場所ならではの楽しさもありました。その土地でしか味わえない食べ物や景色、地元の方々の応援は本当に励みになりました。「頑張って!」と声をかけてもらえるだけで、疲れが吹き飛ぶような気がしましたね。
忙しい中にも、こうした温かさに触れられるのが地方場所の魅力でしたね。
なお、以下の記事では、僕の経験を基に力士たちの生活を詳しく解説しています。地方場所の環境整備などについても語っていますので、ぜひ読んでみてください。
4つの本場所会場
本場所として利用される4つの会場は、それぞれが独自の歴史と特徴を持ち、大相撲を支えています。各会場が開催地の文化や地域性を反映しながら、力士たちの熱戦と観客の熱い声援が織りなす特別な雰囲気を作り出しています。
ここでは、それぞれの会場が持つ特徴や魅力を紹介していきます。
両国国技館(國技館)
- 収容人数:11098人
- 延床面積:35700m2
- 階数:地上2階・地下1階
- 竣工:1984年11月(昭和59年)
- ⇒両国国技館公式サイト
両国国技館は、東京都墨田区に位置する大相撲の本拠地であり、日本相撲協会が所有する専用施設です。1月、5月、9月の年3回、東京での本場所が開催され、力士たちの熱戦が繰り広げられます。
この施設は、観客が取り組みを間近で観戦できるよう土俵を中心に設計されており、伝統的な相撲の雰囲気を楽しめる特別な場所です。また、館内には相撲博物館も併設されており、相撲の歴史や文化に触れることができます。
相撲ファンにとって、両国国技館は大相撲の聖地といえる存在です。
大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)
- 収容人数:約8000人
- 延床面積:28318m2
- 階数:地上4階・地下2階・塔屋1階
- 竣工:1952年12月3日(昭和27年)
- ⇒エディオンアリーナ大阪公式サイト
大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)は、大相撲三月場所(春場所)の会場として知られています。大阪は相撲人気が高く、春場所は毎年多くの観客でにぎわいます。三月場所は「荒れる春場所」とも呼ばれ、波乱が多いことで有名です。歴史的にも、横綱の連敗や休場が話題となり、「荒れる」という印象が定着しました。
また、大阪場所は新弟子が多く集まることから「就職場所」とも呼ばれています。新たな力士たちの第一歩を見守ることができる、特別な場所でもあります。春場所特有の熱気と地元の盛り上がりが、会場全体を包み込むのが特徴です。
愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)
- 収容人数:7514人
- 延床面積:16143m2
- 階数:地上3階・地下1階
- 竣工:1964年9月(昭和39年)
愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)は、大相撲七月場所、通称「名古屋場所」の会場として知られています。名古屋場所は、1958年に本場所として正式に開催されるようになり、1965年から現在の愛知県体育館で行われていました。
(2024年の開催が最後となりました。詳しくは、以下の『注意点』をご覧ください)
名古屋場所は、夏の暑さが厳しい時期に行われるため、「熱帯場所」や「南国場所」とも呼ばれます。そのため、力士にとって体調管理が大きな課題となり、特に上位力士が調子を崩すことも少なくありません。名古屋場所は、夏の風物詩として地域に親しまれており、観客は力士たちの熱戦とともに名古屋ならではの雰囲気を楽しむことができます。
また、日本相撲協会以外の主催で本場所が行われる唯一の場所であり、中日新聞社が毎日懸賞を出しているのも特徴の一つです。
施設の老朽化や名古屋城周辺の整備計画に伴い、2024年の名古屋場所が愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)で開催される最後の場所となりました。この決定を受け、2025年からは新体育館「IGアリーナ」で名古屋場所が開催される予定です。
愛知国際アリーナ(IGアリーナ)
- 収容人数:17000人(立ち見含む)
15000人(着席) - 延床面積:63000m2
- 階数:地上5階
- 竣工予定:2025年7月(令和7年)
- ⇒IGアリーナ公式サイト
2025年から名古屋場所の新会場となる「IGアリーナ」は、名古屋市名城公園内に建設中の最新施設です。旧愛知県体育館の移転により、より大規模で国際基準を満たすアリーナとして計画されています。
そして、最大1万7000人を収容可能なメインアリーナには、大型映像装置が設置される予定です。この装置が相撲観戦でどのように活用されるかはまだ明らかではありませんが、取り組みのリプレイや力士紹介などに活用される可能性があります。
2025年7月の名古屋場所から利用が開始され、大相撲の新たな歴史を刻む舞台となる予定です。長年親しまれてきた愛知県体育館に代わり、新しい会場がどのような相撲観戦体験を提供するのか、期待が高まっています。
福岡国際センター
- 収容人数:10000人
- 延床面積:13085m2
- 階数:地上3階・地下1階
- 竣工:1981年10月(昭和56年)
- ⇒福岡国際センター公式サイト
福岡国際センターは、大相撲十一月場所、通称「九州場所」の会場として親しまれています。1957年に始まった九州場所は、1974年から日本相撲協会の自主興行となり、現在では一年の締めくくりとなる重要な本場所です。
会場は博多港の近くに位置し、地元福岡の熱心な相撲ファンからの応援が力士たちを後押しします。九州場所は、特有の温かい雰囲気とともに、1年の総決算として力士たちの真剣勝負が繰り広げられる特別な舞台です。
この記事を書くにあたって、名古屋場所の「ドルフィンズアリーナ」で本場所が行われなくなることを知り、少しショックを受けました。名古屋場所は、僕にとって思い出深い場所です。特に印象的だったのは、体育館の裏手で提供されていた「鶏めし弁当」です。
あの弁当は、本当においしかった。鶏肉がたっぷり乗ったどんぶりご飯で、力士には格安で提供されていました。うろ覚えですが、確か500円程度だったと思います。しかもお代わりもできたので、取り組み後の腹ペコ状態には最高でした。あの味は、今でもはっきりと思い出せます。
名古屋場所の雰囲気や、あの鶏めし弁当は、僕の相撲生活における特別な思い出の一つです。
元力士 まさる
6場所以外に取り組みはあるの?
大相撲の6場所は、力士たちの勝敗が直接番付に反映される重要な公式戦です。日本相撲協会が主催し、力士にとって昇進や降格を左右する真剣勝負の舞台でもあります。
一方で、6場所以外にも取り組みが行われており、それが「花相撲」と呼ばれるものです。花相撲は勝敗が番付や給金に影響することはなく、観客を楽しませたり、相撲文化を広めることを目的としています。そのため、公式戦とは異なり、和やかな雰囲気の中で進行するのが特徴です。
主な花相撲には、
- 巡業
- トーナメント相撲
- 親善相撲
- 奉納相撲
- 引退相撲
などがあります。
このように花相撲は、力士たちの実力を楽しむだけでなく、本場所とは異なる親しみやすい相撲文化に触れられる貴重な機会といえるでしょう。
花相撲の由来
花相撲の始まりは、奈良・平安時代の宮中行事「相撲節会(すまひのせちえ)」に由来します。この行事では、勝った力士が花を髪に差して退場し、その花は食料や衣類と交換され、力士への褒美とされていました。
また、江戸時代には、観客が贔屓(ひいき)の力士に祝儀を渡す習慣が生まれ、土俵に羽織や煙草盆を投げ入れ、それを控室で引き換えに祝儀を渡す「纏頭(はな)」が広まります。そして、所説ありますがこの祝儀で興行が成り立つことから「花相撲」と呼ばれるようになったとされています。
現代では、この風習が変化し、観客が興奮や感動を表現する方法として座布団を投げる文化が定着しています。特に番狂わせや印象的な取り組みがあるとき、土俵を舞う座布団は相撲観戦の醍醐味ともいえるでしょう。
ちなみに座布団投げのルールや背景などについて、以下の記事でも詳しく解説しています。ぜひチェックしてみてください。
さくら
本場所の緊張感ある取り組みも良いけど、和やかな雰囲気も楽しそう。いつか実際に行ってみたいな!
大相撲の6場所制の歴史
大相撲の年6場所制は1958年(昭和33年)に確立されました。それ以前、江戸時代の本場所は各地で個別に行われ、力士は勧進元や抱え大名の都合に合わせて参加していたようです。ただし、江戸、京都、大坂の三都で相撲が盛んだった一方、天災や不入りで中止となることも多く、興行は安定していませんでした。
明治時代に入ると、相撲集団が法人化されました。さらに、大正時代には東京と大阪でそれぞれ年2回の興行が行われるようになり、昭和初期には日本相撲協会が設立。戦後、大阪、名古屋、福岡の地方場所が加わり、現在の形式が完成します。
現在の15日間興行は、1909年(明治42年)に晴雨に関係なく10日間開催へと改められたのが始まりです。その後、戦後になって15日間制が定着しました。この期間中、初日を「初日」、8日目を「中日」、15日目を「千秋楽」とし、力士たちは技を競い合います。
さらに、番付の発表も場所の初日から約半月前に行われるようになりました。この仕組みにより、力士の成績が迅速に反映され、観客の期待感が高まるとともに、相撲の魅力を全国に広める基盤が築かれています。
- 江戸時代:本場所は不定期で、三都(江戸、京都、大坂)を中心に開催。中止や打ち切りも多かった。
- 明治・大正時代:東京と大阪で興行が収束。相撲集団が法人化。
- 昭和時代(戦前):日本相撲協会が設立され、地方場所が加わる。
- 1958年(昭和33年):年6場所制が確立。東京・大阪・名古屋・福岡で定期開催。
- 現在:年6場所制、15日間興行が定着し、力士の成績が迅速に番付へ反映される仕組みが整備された。
大相撲の6場所制覇とその意義
大相撲には、年6場所制が確立した1958年以降に生まれた名誉ある記録として、「全6場所制覇」「全6場所全勝制覇」「年6場所完全制覇」の3つがあります。それぞれ異なる条件と難易度を持ち、達成には努力と強い精神力が求められます。以下では、それぞれの記録について詳しく解説します。
全6場所制覇
全6場所制覇は、全ての本場所(1月、3月、5月、7月、9月、11月)で幕内最高優勝を果たす記録です。これらの優勝は同じ年内でなくてもよく、長期間にわたる安定した実力が求められます。
この記録が注目されるようになったのは曙の時代からであり、特に2008年7月場所に白鵬が全6場所制覇を達成した際には、多くのメディアがその偉業を大きく取り上げました。以降、この記録は力士たちの目標として広く認識されるようになりました。
2025年現在、全6場所制覇を達成した力士は11人。この記録は、力士の総合的な実力を示す重要な指標として位置づけられています。
大鵬、北の富士、輪島、北の湖、千代の富士、曙、貴乃花、武蔵丸、朝青龍、白鵬、照ノ富士
全6場所全勝制覇
この記録を達成したのは白鵬ただ一人です。彼は年6場所制確立以後、異なる年度にわたって全6場所で全勝優勝を成し遂げるという大偉業を達成しました。具体的には、1月場所は2015年、3月場所は2009年、5月場所は2007年、7月場所は2008年、9月場所は2010年、11月場所は2009年にそれぞれ全勝優勝を果たしています。
この「全6場所全勝制覇」は、特定の年に限定されるわけではなく、複数年をまたいで全ての本場所で全勝優勝を達成するという極めて難易度の高い記録です。白鵬の圧倒的な強さと長期間にわたる安定感があってこそ成し遂げられたものであり、まさに相撲史に輝く唯一無二の偉業といえるでしょう。
年6場所完全制覇
年6場所完全制覇は、1年間に開催される全6場所で幕内最高優勝を果たす記録です。同年内にすべての本場所で優勝する必要があるため、力士の実力だけでなく、体調管理や安定感が問われます。
この記録を唯一達成したのが、2005年の朝青龍です。朝青龍はその年すべての本場所で優勝し、相撲界に新たな歴史を刻みました。この「完全制覇」は、力士の究極の目標とされる偉業であり、大相撲史における特別な達成として語り継がれています。
ちなみに、この偉業を成し遂げた力士たちは、すべて横綱です。横綱に昇進するには、成績や品格など厳しい条件をクリアしなければなりません。その詳細は、以下の記事で詳しく解説していますので、興味があればぜひご覧ください。
大相撲の6場所制は力士にとっての挑戦
年6場所制の導入は、力士に新たな挑戦と可能性をもたらしました。場所数が少なかった時代と比べると、技を磨き、出世する機会が増えた一方、1年間を通して安定した成績を維持する難しさが加わりました。体力的にも精神的にも高い負荷がかかるこのシステムは、力士たちの真価を問う場でもあります。
そして、6場所すべてで結果を残すためには、コンディション管理が重要です。特に地方場所では、地元ファンの温かい声援が力になる一方、慣れない環境や移動の負担に適応する必要があります。また、頻繁に取り組むことで対戦相手に研究されやすくなるため、工夫と柔軟性も求められるでしょう。
このように、6場所制は力士に絶え間ない努力を促し、相撲界全体の技術向上に貢献しています。それと同時に、全国の観客に相撲の魅力を届けるための仕組みとしても、大きな役割を果たしているのです。
さくら
まとめ
大相撲の6場所制は、力士にとって挑戦の連続であり、ファンにとっては相撲の魅力を身近に感じられる大切な仕組みです。それぞれの本場所で生まれるドラマは、相撲史に刻まれる名場面の数々を生み出してきました。そして、地方ごとの温かい応援や地域性も、相撲をさらに特別なものにしています。
この記事を通じて、6場所制の深い魅力とその意義を少しでも感じてもらえたら嬉しいです。次に本場所を観るときには、力士たちの背負うプレッシャーや努力、そして会場ごとの特色にもぜひ注目してみてくださいね!
今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。
また、次回の記事でお会いしましょう。