旭富士(オチルサイハン)の経歴・四股名の由来は?研修生だった理由を元力士が解説
僕が現役のころ、あと一勝で三段目に上がれるという一番がありました。
けれど、それを意識しすぎて緊張してしまい、体が動きません。何もできないまま負けました。自分が何をしたのか、覚えていないくらいです。
旭富士は、序ノ口デビューから25番続けて勝ちました。1番でも落とせば、そこで終わる連勝です。
こんにちは!元力士のしんざぶろうです。
いま相撲界で話題になっている力士の一人が、伊勢ヶ濱部屋の旭富士です。モンゴル出身で、本名をバトツェツェゲ・オチルサイハンといいます。
この力士がほかと違うのは、初土俵を踏むまでに4年半を要したことです。稽古はしていました。部屋にも住んでいました。それでも番付に名前が載らない日が続きます。
理由は、本人の実力ではありません。外国出身の力士をめぐる規定にありました。
なお、同じ「旭富士」でも、第63代横綱の旭富士正也(現・宮城野親方)は別の人物です。四股名が同じなので、検索するとどちらの情報も混ざって出てきます。
この記事では、旭富士(オチルサイハン)のプロフィールと経歴、4年半も番付に名前が載らなかった理由、四股名の由来、そしてデビューからの成績と番付推移を、元力士の視点も交えて解説します。
4年半も番付に名前が載らないなんて、そんなことがあるんですね。
てっきり、入門したらすぐ土俵に上がれるものだと思っていました。
旭富士(オチルサイハン)はどんな力士?本名・年齢・身長
旭富士 英毅(あさひふじ ひでき)は、モンゴルのウランバートルで生まれ、神奈川県の高校で相撲を覚え、伊勢ヶ濱部屋で四つ相撲を磨いてきた力士です。本名のバトツェツェゲ・オチルサイハンのほうで名前を覚えた方もいると思います。
得意技は両四つと上手投げ。体の大きさで押し込むより、まわしを取ってから相手を運ぶ相撲を取ります。
プロフィール
番付と体重は場所ごとに動くため、以下は2026年9月場所の時点の数字です。
■旭富士 英毅の基本情報
- 本名:バトツェツェゲ・オチルサイハン
- 生年月日:2002年5月17日(24歳)
- 出身地:モンゴル・ウランバートル
- 出身校:新名学園旭丘高等学校(神奈川県小田原市)
- 所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
- 師匠:伊勢ヶ濱親方(元横綱・照ノ富士)
- 身長:187.0cm
- 体重:152.3kg
- 得意技:両四つ・上手投げ
- 初土俵:令和7年11月場所(前相撲)
- 最高位:幕下筆頭
- 生涯戦歴:27勝1敗(6場所)
モンゴルから日本の高校へ
相撲との出会いは、15歳で日本に来たことでした。2018年の春、スポーツ留学で神奈川県小田原市の新名学園旭丘高等学校に入学し、相撲部に入っています。
この学校は2016年からモンゴルからの留学生を受け入れており、旭富士もその流れの中で入った一人です。
高校2年だった2019年には、大阪で開かれた世界ジュニア相撲選手権にモンゴル代表として出場し、個人重量級で3位に入りました。団体戦では準優勝しています。
ただし、日本の高校相撲の大会では出場機会に恵まれていません。同じ学校にモンゴル出身の強豪が何人もいたためです。2年時の国体では神奈川県代表として団体ベスト8に入り、3年時の全国高校選手権では32強で終えています。
参考:スポニチアネックス「早くも三役級!?“史上最強の研修生”オチルサイハンが関取衆に9勝7敗 モンゴル出身の20歳」
15歳で言葉の通じない国に来て、そこから相撲を始めたんだよね。
僕は日本にいて、日本語で怒られていてもきつかったよ。何を言われているか分からない状態で稽古についていくのは、想像するだけでも大変だと思う。
なぜ4年半も研修生だったのか?
高校を卒業した2021年の春、旭富士は伊勢ヶ濱部屋に入門しています。それでも番付に名前が載ったのは4年半後でした。日本相撲協会の内規で、外国出身力士は1部屋1人までとされているためです。
当時の伊勢ヶ濱部屋には、モンゴル出身の横綱・照ノ富士がいました。その枠がふさがっている間は、部屋で暮らして稽古を積むことはできても、新弟子検査を受けて番付に載る力士になることができません。
参考:日刊スポーツ「押尾川部屋にモンゴル出身力士ツォゴー・ビルグーン加わる 外国出身力士は1部屋1人まで」
なお2024年4月には、旧宮城野部屋からモンゴル出身の聖白鵬が伊勢ヶ濱部屋へ転籍しています。ただし旧宮城野部屋の力士は「預かり」と判断され、旭富士が検査を受けられなくなる扱いにはなりませんでした。
参考:日刊スポーツ「伊勢ケ浜部屋の研修生として生活するモンゴル出身のオチルサイハンが秋場所の新弟子検査受検」
「研修生」として過ごした日々
旭富士がこの4年半を過ごしたのが、研修生という立場です。番付に名前は載らず、本場所の土俵にも上がれません。
2021年春から2025年9月に新弟子検査へ合格するまで、旭富士は番付に載る力士として日本相撲協会に登録されていません。部屋で寝起きして稽古に加わりながら、本場所には出られない日が続きました。
それでも稽古場では、関取衆と同じ土俵で申し合いを重ねています。十両や幕内の力士を相手に、互角以上の内容を見せることもありました。
部屋の公式チャンネルには、そのころの稽古の様子が残っています。初土俵の直前に撮られたもので、最後のインタビューでは病み上がりだったことを本人が明かしています。
照ノ富士の引退で、検査を受ける条件が整った
状況が動いたのは2025年です。照ノ富士が1月の初場所かぎりで現役を引退し、外国出身力士の枠が空きました。
ただし、枠が空いた月にそのまま検査を受けられたわけではありません。外国出身の力士が新弟子検査を受けるには、相撲部屋での研修が必須とされています。照ノ富士の引退後、旭富士にもこの半年間の研修期間が正式に始まりました。
ここでいう半年間の研修は、それまで4年近く続けてきた研修生としての生活とは別のものです。枠が空いて、ようやく検査に向けた期間が動き出しました。
同年9月、旭富士は秋場所前の新弟子検査を受けて合格します。さらに興行ビザの取得に1場所を要し、11月の九州場所で前相撲から初土俵を踏みました。初土俵を待った期間は、およそ4年半になります。
初土俵を前にした本人は、気負った様子を見せていません。
「ワクワクとかはないですよ。緊張もない。緊張したら、もったいないじゃないですか」
参考:日刊スポーツ「「史上最強の新弟子」オチルサイハンが九州場所初土俵へ万全 体重は「個人情報」と笑顔で伏せる」
参考:日刊スポーツ「デビュー前から伝説!しこ名「旭富士」先代師匠の希望で異例の継承 伊勢ケ浜親方が経緯を明かす」
番付に名前が載らない4年半というのは、稽古の内容そのものよりきついかもしれません。
僕らは負けても勝っても、2か月後には番付という形で結果が返ってきました。それが一度も返ってこない状態で稽古を続けるわけですから。
モンゴル横綱くんは、どう見る?
待つというのは、負けるより苦しい。相撲は番付で語られる世界だ。名前が載らんということは、強くなったかどうかを誰も測ってくれんということだからな。
それを4年半やって腐らなかった。そこがこの男の強さだと、オレは見ている。
新弟子検査の内容や、合格してから前相撲・出世披露までの流れは、以下の記事でくわしく書いています。
四股名「旭富士」の由来は?なぜ横綱の名を継いだのか
四股名の「旭富士」は、先代師匠が現役時代に名乗っていた名前をそのまま継いだものです。名付けたのも、その先代師匠である宮城野親方。第63代横綱・旭富士として土俵に上がっていた人です。
継承の経緯について、師匠の伊勢ヶ濱親方はこう話しています。
「先代(宮城野親方)から『どう?』と聞かれて『親方がいいなら、いいんじゃないですか』と答えて決まった。本人が(神奈川)旭丘高校の出身なので、その意味も含まれている」
参考:日刊スポーツ「デビュー前から伝説!しこ名「旭富士」先代師匠の希望で異例の継承 伊勢ケ浜親方が経緯を明かす」
2021年に受け入れたのが、元横綱・旭富士だった
旭富士が伊勢ヶ濱部屋で生活を始めた2021年、部屋の師匠だったのがこの元横綱です。番付に名前が載らないまま稽古を積んだ日々を、旭富士はまずこの師匠のもとで始めています。
継いだのは、強い力士が使っていた名前というより、自分を受け入れてくれた師匠が現役時代に名乗っていた名前です。
参考:時事ドットコム「新弟子が「旭富士」継承 オチルサイハン改め―大相撲九州場所」
初土俵前の新弟子が横綱の四股名を継ぐ
「旭富士」の襲名は、まだ研修生だった2025年の夏には内定していました。公になったのは、九州場所3日目の前相撲で初土俵を踏む前日、11月10日です。番付に名前が載るより先に、四股名のほうが決まっていたことになります。
「旭富士」という四股名が番付に戻るのは、およそ34年ぶりです。
横綱を張った人の四股名を、まだ本場所の土俵に上がっていない新弟子が名乗る。これは異例の扱いです。
四股名は部屋の財産のようなもので、実績のある名前ほど、誰に継がせるかは慎重に決まります。宮城野親方は、この新弟子についてこう話しています。
「つけてあげたいから、いいんじゃないですか。ウチの部屋で一番強くなったからね」
参考:日刊スポーツ「先代旭富士の宮城野親方、しこ名を受け継ぐオチルサイハン」
4年半、番付に載らない旭富士を稽古場で見てきた親方の言葉なので、期待というより評価に近いものだと思います。
しこ名ってのは、着るもんじゃない。背負うもんだ。
横綱の名を継いだ以上、負けた日も「旭富士が負けた」と言われる。その重さに慣れるまでが、まず一つ目の壁だな。
デビューからの成績と番付推移は?
番付に名前が載ってからの4場所で、旭富士は27勝1敗という成績を残しています。序ノ口・序二段・三段目・幕下と、番付を上げながら4場所続けて各段優勝しました。
番付と成績の推移
前相撲の場所には番付が付かないため、番付に名前が載ったのは2026年1月場所からになります。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 場所 | 番付 | 成績 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2025年11月場所 | 前相撲 | ー | 初土俵 |
| 2026年1月場所 | 東序ノ口19枚目 | 7勝0敗 | 序ノ口優勝 |
| 2026年3月場所 | 西序二段8枚目 | 7勝0敗 | 序二段優勝 |
| 2026年5月場所 | 東三段目6枚目 | 7勝0敗 | 三段目優勝 |
| 2026年7月場所 | 東幕下11枚目 | 6勝1敗 | 幕下優勝(決定戦) |
| 2026年9月場所 | 西幕下筆頭 | 開催中 | 最高位 |
最終更新:2026年9月13日(秋場所の成績は場所後に反映します)
4場所連続の各段優勝
年6場所制が定着した昭和33年以降、序ノ口から幕下までの各段を4場所続けて制した力士は、旭富士が初めてです。
参考:NHK「大相撲名古屋場所 幕下は旭富士が優勝 4場所連続で各段優勝」
7月場所の幕下は6勝1敗で7人が並び、千秋楽に優勝決定戦が行われました。旭富士は3番を勝ち上がって優勝しています。
<千秋楽の様子>
幕下優勝決定戦
優勝は 旭富士(東幕下十一枚目)伊勢ヶ濱部屋旭富士 (6勝1敗) 伊勢ヶ濱部屋
寄り切り
若雅 (6勝1敗) 二子山部屋#sumo #相撲 #名古屋場所— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) July 26, 2026
7人が1つの優勝を争うので、勝ち上がるほど相撲の数が増えます。その3番は、協会の公式チャンネルで通して見ることができます。
25で止まった連勝と、千秋楽の雪辱
その7月場所には、もう一つの節目がありました。9日目、序ノ口から続いていた連勝が25で止まっています。相手は二子山部屋の生田目で、突き出しで敗れました。
25連勝のあいだ、ずっと「次に負けたら連勝が止まる」という状況だったんですね。
見ているほうは連勝の数を数えていましたけど、土俵に上がる本人は、毎回それを背負っていたことになります。
そして千秋楽、7人の決定戦で最初に当たったのが、その生田目でした。旭富士は送り出しで勝ち、6日前に止められた星を、同じ場所のうちに返しています。
そのまま準決勝で不動豊、決勝で若雅を下して優勝しました。取組後、本人はこう話しています。
「一番一番集中すること。相手が誰であろうと自分を信じていきました」
参考:デイリースポーツ「旭富士が幕下優勝決定戦制す「一枚でも上に上がれるように」」
そんな生田目は、怪我で番付を落としてから関取に返り咲いた力士です。どんな相撲を取るのかは、以下の記事にまとめています。
どれくらい強い?元力士から見た旭富士の相撲
協会が公表している決まり手の傾向では、寄り切りが43%、押し出しが20%、上手出し投げが10%です。公式プロフィールに載っている得意技も、両四つと上手投げ。決まり手の傾向と得意技の両方から、まわしを取る相撲を得意としていることが分かります。
研修生のころ、関取衆と何番取っていたか
番付に名前が載らなかったころから、稽古場での強さは知られていました。2023年2月、伊勢ヶ濱部屋で行われた申し合いは45番でした。関取衆との取組では、当時十両だった熱海富士関に5勝4敗、幕内だった翠富士関に1勝3敗です。
この日、出稽古に来ていたのが当時小結の霧馬山(現・霧島関)でした。
極めつきは、出稽古に訪れた小結・霧馬山(26=陸奥部屋)との3番。初めて肌を合わせる次期大関候補と四つ相撲で互角以上に渡り合った。右からの小手投げ、右おっつけ左上手の寄り、右四つからの寄りで3番とも勝利。稽古とはいえ、デビュー前の“新弟子”が三役力士を圧倒。3人の関取衆を相手に計9勝7敗と堂々勝ち越した。
番付に名前が載る前から、旭富士は「史上最強の研修生」と呼ばれていました。初土俵を踏んだあとは、その呼び名が「史上最強の新弟子」と言い換えられて広まります。
同学年の熱海富士は、このころの旭富士についてこう話しています。
「同級生で仲良いです。翠富士関と錦富士関みたいな感じで、2人でやっていければいいなってずっと言っています」
稽古で強いことと、本場所で勝つことは別
稽古場での強さが話題になる力士は、ときどき出てきます。ただ、稽古と本場所は条件が違います。
僕の経験では、稽古は同じ相手と何番も繰り返すので、体力を削られて動きが止まる場面が出てきます。そうなると力比べの要素が強くなり、体が大きいほうが有利です。
本場所は違います。幕下以下は15日間で7番。通常の取組は1日1番なので、稽古のように何番も続けて取る消耗は基本的にありません。
つまり、稽古場で強い力士が本場所でも勝てるかどうかは、本場所の土俵に上がってみないと分からない部分があります。
旭富士の場合は、その答えを4場所で出しました。27勝1敗という数字は、稽古場の評判ではなく本場所の記録です。
四股名を与えた宮城野親方は、初土俵を踏んだ時期に、この力士の課題をこう話しています。
「これから相手にけがをさせないように相撲を取ることは難しい。幕下に上がれば、力を抜いて相撲は取れないし」
参考:時事ドットコム「旭富士、衝撃のデビュー 23歳、元横綱のしこ名継承し」
番付を抜かれる側から見た、強い新入り
稽古場に強い新入りが入ってくると、もともといた若い衆の側にも気持ちの動きが出ます。
僕が現役のころ、学生相撲を経験してから入門してきた人がいました。僕より後から入ってきたのに最初から強く、あっという間に番付を抜かれていきます。
番付がものを言う世界なので一目置く気持ちはありましたが、兄弟子たちの接し方は僕たちと明らかに違い、雑用はこちらにばかり振ってきます。正直、面白くない気持ちも、どこかにあった気がします。
旭富士の場合は、逆の形になります。2021年から部屋で暮らしているので、あとから入ってきた新弟子より、部屋での生活と稽古の期間は長くなります。それでも番付は、最下位からのスタートでした。
旭富士も部屋の一員として地方場所に同行していて、初土俵を踏んだ2025年の九州場所は、本人にとって5度目の九州でした。番付に名前は載らないまま、場所ごとに現地へ入っていたことになります。
参考:日刊スポーツ「「史上最強の新弟子」オチルサイハンが九州場所初土俵へ万全 体重は「個人情報」と笑顔で伏せる」
四つ相撲は、教わるより組んでいるうちに覚えていく部分があります。
僕も稽古で教わったのは押しのほうで、四つは早朝の三番稽古で相手と組んでいるうちに、体が覚えていきました。関取衆と組み続けた4年半が、旭富士の両四つを磨いた一因になっていると思います。
学生相撲から入ってきた力士を、部屋がどう受け止めるのかについては、二子山部屋の三田大生を扱った記事でもう少しくわしく書きました。
そして、同学年として稽古を重ねてきた熱海富士がどんな相撲を取るのかは、以下の記事にまとめています。
元横綱・旭富士(宮城野親方)との違いは?
四股名が同じなので混同されやすいのですが、この記事の旭富士と、第63代横綱の旭富士正也は別の人物です。横綱のほうは現在、宮城野親方として日本相撲協会に在籍しています。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 旭富士 英毅 | 旭富士 正也 | |
|---|---|---|
| 読み | あさひふじ ひでき | あさひふじ せいや |
| 本名 | バトツェツェゲ・オチルサイハン | 杉野森 正也 |
| 出身 | モンゴル・ウランバートル | 青森県つがる市 |
| 所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋 | 大島部屋(現役時代) |
| 最高位 | 幕下筆頭(2026年9月場所時点) | 第63代横綱 |
| 現在 | 現役の力士 | 宮城野親方(日本相撲協会 参与) |
しこ名を継ぐって、名前だけの話じゃないんだよね。
先代がどんな相撲を取っていたかを知っている人ほど、新しい旭富士の相撲と重ねて見ることになる。比べられるのは避けられないと思う。
横綱だった旭富士が、親方としていま何をしているのかは、以下の記事で解説しています。
旭富士(オチルサイハン)に関するよくある質問
Q1. 旭富士(オチルサイハン)は何歳ですか?
A. 2002年5月17日生まれで、2026年9月場所の時点で24歳です。15歳で来日しているので、日本での生活は8年を超えました。
Q2. なぜ4年半も研修生だったのですか?
A. 外国出身の力士は一つの部屋に一人まで、という規定があるためです。伊勢ヶ濱部屋には横綱・照ノ富士が在籍していたため、その引退を待つことになりました。
Q3. 四股名の「旭富士」は誰がつけたのですか?
A. 伊勢ヶ濱部屋の先代師匠である宮城野親方です。先代が現役時代に名乗った「旭富士」を継いだもので、「旭」には本人の母校である旭丘高校の意味も含まれています。
Q4. 元横綱の旭富士とは別人ですか?
A. 別人です。第63代横綱の旭富士正也は青森県の出身で、現在は宮城野親方として協会に在籍しています。この記事の旭富士はモンゴル出身の現役力士です。
Q5. いつ関取になれますか?
A. 2026年9月場所の番付は西幕下筆頭で、十両が見える位置です。ただし幕下上位は勝ち越しても昇進できない場所があり、上の番付に空きが出るかどうかにも左右されます。
Q6. 家族について分かっていることはありますか?
A. 公表されているのは、家族に母がいることと、叔母がレスリング女子76キロ級のブルマー・オチルバトさんであることです。叔母は2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ、2021年東京と、オリンピックに3大会出場しています。
参考:日刊スポーツ「デビュー前から伝説!しこ名「旭富士」先代師匠の希望で異例の継承 伊勢ケ浜親方が経緯を明かす」
まとめ
旭富士について語られるとき、話題になるのはたいてい強さのほうです。稽古で関取を圧倒した、デビューから25連勝した、4場所続けて優勝した。連勝を止めた生田目にも、同じ場所の千秋楽で雪辱を果たしています。
負けた相手ともう一度当たる場面で、そのまま勝ち切れる力士は強いです。
ただ、この力士がほかと違うのは、そこに至るまでの4年半だと思います。番付に名前が載らないまま稽古を続け、自分が強くなったかどうかを測る物差しを持たずに過ごした期間です。
2026年9月場所の番付は西幕下筆頭です。9月13日に初日を迎える秋場所で、十両につながる成績を残せるかどうかが最初の関門になります。4年半かけて上がった土俵で、旭富士がどこまで行くのか。まずはこの場所に注目してみてください。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
幕下筆頭ってのは、なかなか苦しい場所だ。上が見えているのに、手は届かん。
ここで焦って引いたり、当たりを変えたりして崩れる者がいる。旭富士がやるべきは、4年半やってきたことをそのまま出すことだけだ。
まわしを取れ。前に出ろ。それで足りる。



















