力士として相撲部屋に入門すると、まず憧れるのが「エナメル雪駄」。三段目に上がると履くことが許されますが、さらにその上の「博多帯」は幕下以上の力士だけが締めることができ、まさに特別な存在の証でした。かつての私も、その姿に強く憧れたものです。
こんにちは!元力士のしんざぶろうです。
相撲ファンなら「幕下」という言葉を聞いたことがあると思いますが、具体的にどんな立ち位置なのか、詳しく知らない方も多いのではないでしょうか?
幕下は番付で十両のすぐ下に位置し、関取目前の力士たちがしのぎを削る階級です。しかし、十両との待遇の違いは? 幕下から昇進するにはどんな条件があるのか?
この記事では、幕下力士の生活や昇進の仕組み、歴史的背景まで詳しく解説していきます。ぜひ最後までお付き合いください!
関取ばかりが注目されがちだけど、幕下に昇進するだけでもすごいことなんだよね。実際、大多数の力士はそこにたどり着く前に土俵を去ることの方が多いんだから。
- 幕下の位置付けと十両との待遇の違い
- 幕下から十両に昇進するための条件と基準
- 「幕下上位五番」の意味と十両昇進との関係
- 幕下付け出し制度の概要と成功した力士たち
- 幕下の歴史とその変遷(かつての十両との関係など)
幕下の位置付け

幕下は大相撲の番付において、力士養成委員の一番上の階級で十両の下に位置します。つまり、一人前の力士として扱われる「関取」を狙える地位にある、ということです。
特に、幕下上位と十両下位の力士では、入れ替え戦ともいえる真剣勝負が繰り広げられることもあり、最も競争の厳しい地位でもあります。
幕下力士にとって、この地位で勝ち上がることは、関取への道が大きく開ける絶好のチャンスです。しかし、敗北すれば次の機会を待たなければならず、その間の努力や忍耐が試されます。この舞台は、まさに力士たちの命運を左右する真剣勝負の場と言えるでしょう。
一方で、十両から幕下に降格した力士にとっては、この階級で戦うことが引退を真剣に考える契機になる場合もあります。こうした背景から、幕下という階級は、大相撲の厳しさとその中に潜む魅力を象徴する存在だと言えるのです。
ちなみに、幕下の定員は東西60枚ずつの計120人(幕下付出は除く)と決まっています。このほかの階級については、詳しく解説した記事がありますので、興味のある方はぜひそちらもチェックしてみてください。

幕下から十両に昇進するには
幕下から十両に昇進するためには、具体的にどのような条件を満たす必要があるのでしょうか。まず、番付上の「幕下上位」に位置することが求められます。
この幕下上位とは、「幕下15枚目以上」のことを指し、ここに入ることで十両昇進の審議対象となり、成績次第では、十両昇進の可能性が見えてくる重要な位置となります。
つまり、幕下から十両を目指すには、まず幕下15枚目以内に昇進しなければなりません。一方で、幕下上位にはもう一つの側面があります。それが取組上の「幕下上位五番」です。
幕下上位五番について
「幕下上位五番」とは、番付上の幕下上位とは異なり、取組上の位置付けを指す言葉です。十両土俵入りの都合で幕下の取組を5番残した状態で行われるため、その最終5番の取組が「幕下上位五番」と呼ばれます。
ここに組まれる力士は、番付上の幕下上位に属することが多く、十両昇進を狙う上で注目される存在です。
この幕下上位五番には、以下のような特徴があります。
- 特別なアナウンス
取組前には「幕下、上位の取組であります」とアナウンスされる。 - 十両力士に近い扱い
土俵下の控えには十両力士と同じ座布団が用意され、取組を担当するのも十両格行司・十両呼出。 - 関取と同じ所作が許される
幕下上位五番の力士が十両力士と対戦する際には、特別に大銀杏を結うことが認められ、土俵上の所作も関取と同じように進行される。また、通常の幕下以下の取組では行わない「塩まき」や「力水」も許可されるため、幕下力士にとっては特別な舞台となる。 - 取組の注目度が高い
NHKの大相撲中継でも、十両の結果とともに発表される。
また、本場所終盤では「入れ替え戦」とも言われる十両下位と幕下上位の対戦が組まれることが多く、ここでの勝敗が昇進に大きく影響すると考えられています。
このように、幕下上位には番付上の「幕下15枚目以内」と、取組上の「幕下上位五番」の2つの側面があり、いずれも十両昇進を目指す力士にとって重要なポイントとなるのです。
幕下15枚目以内に昇進するには
では、幕下15枚目以内に昇進するには、どうすればよいのでしょうか。やはり基本は、地道に勝ち越しを積み上げていくことが重要です。
しかし、大きく勝ち越せば、一気に幕下上位へ食い込むことも可能です。例えば、幕下16枚目以下で7戦全勝を達成すれば、次の場所で幕下15枚目以内に昇格することが保証されています。
また、三段目上位で7戦全勝を果たした場合も、幕下上位へ昇進するケースがあるため、下位からでも一気に番付を上げるチャンスがあります。こうした成績次第で一気に昇進できる仕組みも、大相撲の魅力の一つといえるでしょう。
幕下上位から十両に昇進するには
幕下上位から十両を目指す場合も、基本となるのは着実に勝ち越しを積み重ねることです。しかし、幕下には複数の勝ち越した力士がいるため、誰を十両へ昇進させるかの判断が必要になります。その際の優先基準として、特に重視されるのが次の2つです。
- 「東幕下筆頭」での勝越し
- 「幕下15枚目以内」での全勝
上記のように、東幕下筆頭で勝ち越した力士は、十両昇進の最有力候補とされます。一方、幕下15枚目以内で全勝を果たした力士も、昇進の可能性が非常に高く、有力な候補の一人とみなされます。
ただし、これらの条件を満たしても、十両の定員に空きがなければ昇進は見送られることもあるため、昇進には「運」の要素も大きく関わるのです。
過去の事例を振り返ると、東幕下筆頭で勝ち越しながらも十両昇進を果たせなかった力士が存在します。特に、昭和40年代にはそのような例が比較的多く見られました。
その中から以下の2つの事例をご紹介します。
〇宝満山 茂(ほうまんざん しげる)
*後の隆昌山(りゅうしょうやま)
- 最高位:十両7枚目
- 事例:
【昭和41年3月場所】東幕下筆頭:4勝3敗
【翌5月場所】東幕下筆頭:3勝4敗
〇代官山 康弘(だいかんやま やすひろ)
- 最高位:十両11枚目
- 事例:
【昭和41年9月場所】東幕下筆頭:5勝3敗
【翌11月場所】東幕下筆頭:3勝4敗
この地位で勝ち越すこと自体すごいけど、勝ち越したのに番付が据え置きはさすがに厳しいなぁ。本人にとっては「運がなかった」の一言では片付けられないよね…
幕下で全勝すれば昇進?実はそうとは限らない例も
先述のとおり、幕下15枚目以内で全勝優勝すれば十両昇進が濃厚とされています。しかし、実際には例外的なケースも存在します。
例えば、幕下15枚目で全勝したにもかかわらず昇進できなかった力士がいる一方で、幕下16枚目という昇進圏外の地位から昇進を果たした力士もいます。
この2つの事例は、大相撲の厳しさや、昇進には「実力」だけでなく「運」も関わることを物語っています。それでは、それぞれのケースを詳しく見ていきましょう。
下田 圭将(しもだ けいしょう)の場合
下田圭将は2006年5月場所、「幕下15枚目格」付け出し(2025年現在の幕下付け出しは60枚目のみ)で初土俵を踏み、7戦全勝優勝という輝かしいデビューを飾ります。しかし、翌場所の番付は「西幕下筆頭」にとどまり、十両昇進には至りませんでした。
この昇進が叶わなかった理由として、以下の2点が挙げられます。
- 十両から幕下への転落者が少なく、枠に空きがなかったこと
- 「15枚目」と「15枚目格」の評価が異なり、同等とは見なされなかったこと
その後、下田はこのチャンスを活かせず低迷が続き、十両昇進を果たせないまま2016年3月場所で引退しました。最高位は、幕下優勝を果たした翌場所、入門2場所目の「西幕下筆頭」となっています。
後に、この事例は「下田事件」と称され、番付編成の判断基準を示す前例として広く語り継がれることとなりました。
大真鶴 健司(だいまなづる けんじ)の場合
大真鶴健司は、1992年5月場所に初土俵を踏み、少しずつ着実に番付を上げていきました。そして、2003年11月場所には西幕下16枚目で幕下優勝を果たします。
通常、この地位での優勝は十両昇進に直結しませんが、翌2004年1月場所に異例の十両昇進が決定しています。
この昇進が異例とされた理由として、以下のポイントが挙げられます。
- 当時、関取定員の増加という特殊な状況が後押しとなった
- 幕下上位に好成績の力士が少なく、引退者もいたため昇進基準が緩和された
これらの要因が重なったことで、大真鶴は非常に幸運な形で関取の座を掴むことができたのです。
その後、一度幕下に降格するも、再び十両へ復帰して定着。2006年7月場所には西前頭15枚目として新入幕を果たしました。
しかし、幕内の壁に阻まれ、わずか1場所で十両に陥落。 その後も十両で一定の成績を残していましたが、けがや不調に苦しみ、2010年1月場所を最後に引退しました。
*十両に昇進するには
- 「幕下15枚目以内」に入る必要がある
- 「東幕下筆頭」で勝ち越すと十両昇進の最有力候補
- 「幕下15枚目以内」で全勝優勝すれば十両昇進の可能性が高い
- 十両から降格する力士がいなければ、昇進はできない
三段目から幕下へ
幕下への昇進と聞くと、幕下上位から十両を目指す流れに注目しがちですが、その前段階である三段目から幕下への昇進も気になるところです。では、三段目の力士が幕下へ昇進するには、どのような条件を満たす必要があるのでしょうか?
幕下への昇進条件は、三段目での番付によって異なります。どの地位でもいえることですが、基本的に下位にいるほど、より多くの勝ち星が求められる仕組みになっています。
※番付編成の判断によって異なる場合もあります。
- 三段目10枚目以内
→ 4勝以上で昇進 - 三段目25枚目以内
→ 5勝以上で昇進 - 三段目50枚目以内
→ 6勝以上で昇進 - 三段目51枚目以下
→ 7勝すれば優勝の有無を問わず無条件で昇進
このように、下位の力士ほどより厳しい条件が課されるため、三段目下位の力士が一場所で幕下入りを果たすには、全勝が必須となります。
一方、三段目上位の力士は4勝で昇進できる可能性が高く、幕下経験者が三段目に陥落しても比較的早く戻れる仕組みになっています。そのため、幕下と三段目の境界は、力士の実力差が反映されやすいラインともいえるでしょう。
また、三段目より下の序二段・序ノ口でも、番付の枚数に関係なく、7戦全勝すれば一段階上の階級へ昇進することができます。そのため、序ノ口や序二段で優勝した力士は、確実に番付を上げることが可能です。
幕下に昇進するのも大変なんだね。そんな幕下力士はどんな日常生活を送っているのかしら?関取ではないけど、やっぱり三段目以下の力士とは違う待遇を受けるのかな?
幕下の日常
幕下の生活は、十両のすぐ下に位置するものの、その待遇には大きな隔たりがあります。十両以上は「関取」として扱われ、一人前の力士とみなされるのに対し、幕下以下は「力士養成員」とされ、見習いの立場にあります。そのため、生活のあらゆる面で十両とは異なる扱いを受けることになります。
たとえば、ちゃんこ当番や掃除、門限など、基本的な生活スタイルは三段目以下の力士と共通しており、部屋によって違いはあるものの、多くの幕下力士が同じ環境で過ごします。
僕のいた相撲部屋では、幕下の力士は比較的優遇されていたように思います。個室こそないものの、収納の多いベッドが用意され、生活のしやすさが考えられていました。そのため、大部屋とは違い、最低限のプライベート空間が確保されており、落ち着いて過ごせる環境だったと思います。
また、食事や入浴の順番も番付によって決まっているため、師匠や関取に次いで食事をとることができ、自由な時間も確保されていました。 僕から見ても、これはうらやましい待遇です。
何より、関取に次ぐ地位であるため、自分より番付の低い幕下以下の兄弟子に対しては、必要以上に気を遣うことなく生活できるのも大きな違いだったように思います。
なお、僕の部屋での経験をもとに、力士の一日の生活について詳しく解説した記事もあります。興味があれば、ぜひ参考にしてみてください。

十両と幕下以下の違い
幕下と十両の違いは、生活面だけではありません。服装や待遇にも明確な差があり、それらを表にまとめました。
番付名 | 履物 | 着物 | 帯 | その他 |
---|---|---|---|---|
十両 | 畳敷の雪駄(エナメル含む)・白足袋(黒足袋含む)・雨雪用カバー付きの下駄 | 紋付袴・羽織・外套(コート) | 博多帯 | 番傘・マフラー・白木綿の稽古まわし・ 正絹の締め込み(本場所用のまわし)・化粧まわし・大銀杏など |
幕下 | エナメル雪駄・ 黒足袋 |
着物・浴衣・羽織・ 外套(コート) |
博多帯 | 番傘・マフラー ・黒木綿のまわし(稽古・本場所ともに同じものを使用) |
三段目 | 着物・浴衣・羽織 | ちりめん帯 | 黒木綿のまわし(稽古・本場所ともに同じものを使用) | |
序二段 | 下駄・黒足袋 | 着物・浴衣 | ||
序の口 |
さらに、大きな違いとして挙げられるのが収入です。関取(十両以上)になると毎月給料が支給されるのに対し、幕下以下は2カ月に一度の本場所ごとの手当のみとなっています。その具体的な金額については、以下の表をご覧ください。
収入の種類 | 番付名 | 金額 |
---|---|---|
月給 | 横綱 | 300万円 |
大関 | 250万円 | |
関脇 | 180万円 | |
小結 | 180万円 | |
前頭 | 140万円 | |
十両 | 110万円 | |
本場所ごとに支給 基本手当/年6回 |
幕下 | 16万5千円 |
三段目 | 11万円 | |
序二段 | 8万8千円 | |
序の口 | 7万7千円 |
収入の差は給料だけではない
関取は、月給のほかにも本場所の懸賞金や報奨金など、多くの収入があります。 一方、幕下以下の力士にも収入を増やすチャンスがあり、各段の優勝賞金や、本場所で1勝するごとに加算される奨励金などが用意されています。
力士の収入源やその詳細について興味をお持ちの方は、以下の2つの記事をご覧になると、より深く理解できます。参考にしてみてください。
〇力士の基本給や本場所での収入について
こちらの記事では、力士の番付ごとの基本給や、幕下以下の力士に適用される奨励金制度、さらに本場所での勝ち星や優勝、三賞(殊勲賞・敢闘賞・技能賞)などで得られる収入の具体例について詳しく解説しています。

〇力士の報奨金制度について
この記事では、力士の成績に応じて加算される報奨金の仕組みや、金星獲得時の報奨金の増加、歴代横綱の報奨金額の実例など、報奨金制度の詳細をできる限りわかりやすく解説しています。

幕下付け出しについて
大相撲には、アマチュア相撲で優れた成績を収めた力士が、一般の新弟子とは異なる待遇で相撲界入りできる「付け出し制度」があります。
通常、新弟子は相撲部屋に入門し、新弟子検査を受けたのち、前相撲を経て番付に載るのが基本ですが、付け出し力士はこの流れを省略し、幕下または三段目の最下位格からスタートします。
そのため、前相撲や新序出世披露が行われないのも特徴です。
幕下付け出しの条件
2025年現在、付け出しは「幕下最下位付け出し」と「三段目最下位付け出し」の2種類があり、それぞれアマチュア相撲の主要大会で一定の成績を収めることで資格を得られます。特に幕下付け出しの資格を得るには、全国学生選手権や全日本選手権で上位の成績を残すことが求められます。
以下が付け出し条件一覧です。
大会 | 幕下最下位付け出し | 三段目最下位付け出し |
---|---|---|
国民スポーツ大会相撲競技 | 成年の部8強以上 | ・成年の部16強以上 ・少年の部4強以上 |
全日本相撲選手権大会 | 8強以上 | 16強以上 |
全国学生相撲選手権大会 | 8強以上 | 16強以上 |
全国高等学校相撲選手権大会 | なし | 個人無差別級4強以上 |
この制度によって、アマチュア時代から実績を積んだ者が、いきなり幕下・三段目からスタートでプロの世界に挑戦することができます。実際に、この制度を利用して多くの関取が誕生しました。
幕下付け出しの実力者!相撲界を彩った力士たちの軌跡
幕下付け出し制度を利用して土俵に上がった力士の中には、その後大きな活躍を遂げた者も少なくありません。学生相撲や実業団相撲で磨いた実力を武器に、幕下から関取、さらには横綱や大関へと駆け上がる力士も現れました。ここでは、その代表的な力士を紹介します。
輪島大士(わじま ひろし)
本名:輪島 博(わじま ひろし)
最高位:第54代横綱
初土俵:1970年1月場所
引退:1981年3月場所
生涯戦績:673勝234敗85休(出場回数68場所)
優勝:幕内最高優勝14回
十両優勝1回
幕下優勝2回
輪島大士は、「幕下60枚目格」付け出しで初土俵を踏み、史上初めて横綱に昇進した力士です。日本大学時代には2年連続で学生横綱に輝き、合計14のタイトルを獲得。その実績が評価され、幕下付け出し資格を得て、1970年1月場所で初土俵を踏みました。
そこから順調に番付を上げ、わずか3年半で横綱に昇進。当時としても異例のスピード出世でした。
土俵では、「黄金の左」と称された豪快な下手投げを武器に活躍。左四つの体勢から繰り出す強烈な投げで、相手を豪快に宙へ浮かせるような取り口が特徴でした。
また、幕内最高優勝14回を誇り、大関時代を含めて年間最多勝を3回獲得。特に、北の湖との激闘は昭和の大相撲を象徴し、「輪湖時代」(りんこじだい)と称されるほどの盛り上がりを見せました。
武双山正士(むそうやま まさし)
本名:尾曽 武人(おそ たけひと)
最高位:東大関
初土俵:1993年1月場所
引退:2004年11月場所
生涯戦績:554勝377敗122休(出場回数72場所)
優勝:幕内最高優勝1回
幕下優勝2回
武双山正士は、「幕下60枚目格」付け出しで初土俵を踏み、最高位は大関にまで昇り詰めた力士です。日本大学相撲部では全日本相撲選手権大会で活躍し、アマチュア横綱のタイトルを獲得。 その実績が評価され、幕下付け出し資格を得て、1993年1月場所で初土俵を踏みました。
持ち前の馬力と突き押し相撲を武器に番付を駆け上がり、初土俵から5場所目となる1993年9月場所で新入幕を果たしました。 しかし、大関昇進までは苦戦が続き、2000年5月場所でようやく昇進。 初土俵から約7年を要し、遅咲きの大関昇進となりました。
幕内最高優勝は1回、準優勝4回を記録。しかし、度重なる怪我に悩まされ、2004年11月場所を最後に引退。その後は藤島親方として後進の指導にあたり、相撲界に貢献し続けています。
武双山といえば、張り手を駆使した力強い相撲でも知られています。特に1998年名古屋場所での千代大海との取組では、両者合わせて17発もの張り手を繰り出し、激しい攻防を展開しました。
張り手は相撲の中でも賛否の分かれる技ですが、その威力や戦術的な意味についても詳しく解説しています。ぜひ以下の記事も参考にしてみてください。

大の里泰輝(おおのさと だいき)
本名:中村 泰輝(なかむら だいき)
現在の番付:東大関(2025年1月場所現在)
初土俵:2023年5月場所
戦績:109勝40敗
(出場回数11場所/2025年1月場所現在)
優勝:幕内最高優勝2回
大の里泰輝は、「幕下10枚目各」付け出しで初土俵を踏み、史上最速で大関昇進を果たした力士です。大学時代には全国学生相撲選手権大会で優勝し、学生横綱のタイトルを獲得。その実績が評価され、幕下付け出し資格を得て2023年5月場所でデビューしました。
初土俵から圧倒的な強さを見せつけ、わずか4場所で新入幕。2024年5月場所では初優勝を飾り、さらに番付を駆け上がると、所要わずか9場所で大関昇進という史上最速のスピード出世を成し遂げました。
土俵では、190cmを超える恵まれた体格を生かした寄りと突きの圧力が武器。相手を前に出させず、一気に押し切る取り口が特徴です。さらに、組んでも力を発揮できる柔軟な相撲で、多彩な攻めを展開。
幕内優勝2回を誇り、今後の相撲界を牽引する存在として大きな期待が寄せられています。
また、幕下付け出しでも受験する「新弟子検査」についても解説しています。この記事では、大の里が実際に検査を受けた際の映像も紹介しているので、ぜひご覧ください。

幕下の歴史と変遷
幕下という階級も、今の形になるまでにはいろいろな変化を経てきました。もともと「幕下」という言葉は、江戸時代には現在のような階級を指すものではなく、単に幕内の下位力士を意味していました。
しかし、1888年(明治21年)に給与制度が導入されると、幕下上位10枚目以内の力士に場所ごとの給与が支給されるようになり、関取(十両)との区別が明確になります。最初は「十枚目」と呼ばれていましたが、やがて「十両」という名前が定着しました。
番付の表記も時代とともに変わっています。明治から大正時代にかけては、十両と幕下をまとめて「幕下」として扱い、番付の2段目に一括して記載していました。しかし、その後、十両が独立した階級として確立され、今のように明確な区分になっていきます。
昭和以降には、アマチュア相撲で優秀な成績を収めた力士が幕下からスタートできる「幕下付け出し制度」が導入され、より幅広い層の力士がこの階級で戦うようになりました。
こうして幕下は、大相撲の中でも競争の激しい重要な階級として発展してきたのです。
へぇ~。十両はもともとは「幕下上位十枚目」以内の力士だったんだね。それが時代とともに十両と幕下という階級がはっきり分かれるようになったってわけだ。
まとめ
幕下は、関取を目指す力士にとって重要なステップであり、大きな壁でもあります。ここでの勝ち越しが十両昇進への道を開く一方で、降格すれば再び這い上がるのは至難の業。実力だけでなく、運やタイミングも影響するシビアな世界です。
そんな厳しい環境の中で奮闘する力士たちを知ることで、大相撲観戦がさらに面白くなるはず。今後の取組を見る際は、幕下の力士たちにもぜひ注目してみてください。
今回も、最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、次回の記事でお会いしましょう。