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現役のころ、番付発表の日に見たことのない名前が幕下の上のほうに載っていることがありました。

学生相撲で実績を残した力士が、つけ出しで入ってきたときです。

どれくらい強いのか、気にならないわけがありません。稽古場でも、その名前が話に出ました。

ただ、その関心が長く続いたかというと、そうでもありませんでした。

こんにちは、元力士のしんざぶろうです。

雷親方は、元小結の垣添徹です。

僕が土俵にいたのは2002年ごろまでで、そのころ幕下つけ出しで入ってきた力士のひとりが、その垣添でした。

番付の上のほうから相撲人生を始めて、小結まで進み、そして自分の部屋を持つ立場になっています。

この記事では、雷親方について解説します。

相撲観戦大好き さくら
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雷親方って、ずっと「かみなり親方」だと思っていました。

いかづち、なんですね。同じ字なのに、読み方が変わるだけで別の名前みたいに感じます♪

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雷親方は誰?読み方は「いかづち」

雷親方は「いかづちおやかた」と読みます。部屋の名も雷部屋(いかづちべや)です。

日本相撲協会は、年寄名も部屋名も「いかづち」と表記しています。事典や新聞では「いかずち」と書かれることもあります。

雷親方は、元小結の垣添徹(かきぞえ とおる)です。年寄名は「雷 徹」で、日本相撲協会では委員を務めています。

2026年9月場所時点で48歳。東京都墨田区業平にある雷部屋の師匠です。

現役時代の四股名は「垣添」でした。本名がそのまま四股名で、変えたことは一度もありません。

参考:日本相撲協会「雷 徹 年寄プロフィール」日本相撲協会「相撲部屋のご紹介 雷部屋」

管理人の後輩 元力士 まさる
管理人の後輩 元力士 まさる

雷って字だけ見ると、かみなりって読みたくなるんだよなあ。

でも部屋の名前は、口に出して呼ぶ機会がすごく多いんだ。取組でも、よその部屋を訪ねるときも。

読み方を取り違えたままだと、あとで気まずくなることもあるよ。

垣添徹の現役時代

雷親方が現役だったのは、2001年9月場所から2012年5月場所までのおよそ11年です。

プロフィール

身長と体重は、現役時代の数字です。

雷親方(元小結・垣添徹)のプロフィール

〇2026年9月場所時点

  • 年寄名:雷 徹(いかづち とおる)
  • 本名:垣添 徹(かきぞえ とおる)
  • 現役時代の四股名:垣添
  • 生年月日:1978年8月12日(48歳)
  • 出身地:大分県宇佐市
  • 出身校:宇佐産業科学高等学校、日本体育大学
  • 身長・体重:176.0センチ/138.0キロ
  • 得意技:突き・押し
  • 初土俵:2001年9月場所
  • 最高位:小結
  • 引退場所:2012年5月場所
  • 生涯戦歴:388勝430敗15休

参考:日本相撲協会「垣添 徹 力士プロフィール」雷部屋公式サイト

学生横綱から、幕下つけ出しで角界へ

垣添は大分県宇佐市の出身で、宇佐産業科学高校から日本体育大学へ進みました。中学・高校・大学と、ずっと相撲部にいました。

角界へ進んだ理由を、本人はこう書いています。

「大学生の頃に『一度、大相撲で実力を試してみたい』という気持ちが芽生え、角界へ入門することとなりました」

日本体育大学で学生横綱になり、その資格で幕下15枚目格つけ出しとして2001年9月場所に初土俵を踏みました。入門したのは武蔵川部屋で、引退時の所属は藤島部屋です。

初土俵から雷部屋継承までの歩み

番付に名前が載ってから部屋を持つまでに、21年あまりかかっています。

時期 できごと
2001年9月場所 幕下15枚目格つけ出しで初土俵
2003年3月場所 新十両
2003年9月場所 新入幕
2004年3月場所 新小結。三役に上がる
2012年4月 現役引退を表明。年寄「押尾川」を襲名し、同年に「雷」を襲名
2012年5月場所 番付のうえでの引退場所
2013年6月1日 両国国技館で引退相撲
2013年 藤島部屋から武蔵川部屋へ移る
2020年9月 入間川部屋へ移る
2023年2月1日 入間川部屋を継承し、雷部屋に

引退を発表したときの地位は西幕下56枚目で、33歳でした。幕内には43場所在位し、生涯戦歴は388勝430敗15休。三賞は技能賞を1度受けています。

得意技は突き、押しです。176.0センチという身長は、幕内では小さいほうに入ります。

参考:時事ドットコム「【特集】土俵に別れを告げた日」日本相撲協会「垣添 徹 力士プロフィール」宇佐市「宇佐市観光大使 雷親方」

相撲観戦大好き さくら
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学生横綱だと、いきなり幕下から始められるんですね。

でも十両に上がるまでは、思ったより時間がかかっているような気がします。

そのあいだ、まわりの力士からはどう見えていたんでしょうか♪

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元力士から見た、幕下つけ出しという入り方

垣添が土俵に上がった2001年、僕もまだ現役でした。

番付の上に載る、見慣れない名前

ここからは垣添の話ではなく、同じ時期に番付の下のほうにいた僕の話です。

元力士が見ていた、幕下つけ出しへの視線

幕下つけ出しで入ってくる力士のことは、力士の間でも話題にのぼります。

どれくらいの実力なのか、気にならないわけがありません。番付でいえば自分よりずっと上から始まる相手ですし、いつか稽古場で当たるかもしれない相手でもあります。

ところが、怪我などでその場所の土俵に上がらないと、それを確かめることができません。

そうしているうちに、いつの間にか話題にも上らなくなります。というのも、また新しいつけ出しの力士が出てくるからです。

前の名前は、そこで埋もれてしまいます。

垣添の初土俵は、全休から始まった

垣添は2001年3月場所で初土俵を踏む予定でした。ところが世界相撲選手権で左膝の前十字靱帯を断裂し、半年遅れることになります。

そして幕下つけ出しで番付に名前が載った2001年9月場所は、全休でした。

つまり、その場所の垣添の相撲を見た者はいません。

参考:日刊スポーツ「垣添断髪式にWBA王者内山ら250人」(2013年6月1日)

つけ出しで入ったからといって、その先が約束されるわけではありません。関取に届かないまま土俵を去る人もいます。

僕が現役だったのは2002年ごろまででした。垣添が新十両に上がったのは2003年3月場所で、それは僕が土俵を離れたあとのことです。

初土俵から新十両まで、9場所かかっています。

ただ、十両に上がってからは早いものでした。3場所後の2003年9月場所で新入幕、さらに3場所後の2004年3月場所で新小結です。関取になるまでに1年半、そこから三役までは1年でした。

しんざぶろう
しんざぶろう

稽古場で名前が出ていた力士が、僕の知らないところで十両へ上がっていました。

現役のころは番付をすみずみまで見ていたのに、辞めてからは手に取らなくなったんです。

埋もれたと思っていたのは、こちら側だけだったのかもしれません。

なお、つけ出しの仕組みや、幕下と関取の境目については、こちらの記事で詳しく書いています。

大銀杏を結った関取と丁髷の幕下力士が土俵の前で向かい合うイラスト
大相撲の幕下は勝ち越しても上がれない?関取との境目を元力士が解説幕下で勝ち越しても十両に上がれないことがあります。東幕下筆頭で勝ち越しながら据え置かれた例や、全勝でも昇進しなかった例を挙げながら、関取との境目・昇進条件・幕下付け出しの仕組みを元力士が解説します。...

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部屋付き親方から、部屋持ち親方へ

垣添は2012年4月に現役引退を表明し、年寄「押尾川」を襲名しました。番付のうえでの引退場所は、同年5月場所です。年寄名を「雷」に改めたのも、同じ年でした。

翌2013年6月1日、東京・両国国技館で引退相撲が行われました。断髪式では約250人がはさみを入れ、止めばさみは藤島親方(元大関・武双山)です。妻の栄美さんからは花束が贈られました。

その日の様子を、日本相撲協会公式Xが投稿しています。四股名の垣添ではなく、雷親方として紹介されているところに注目してください。

この日、雷親方はこう話しています。

「一生懸命頑張る力士を育てたい。相撲界に恩返ししたい」

参考:日刊スポーツ「垣添断髪式にWBA王者内山ら250人」(2013年6月1日)

現役を退いた2012年から、自分の部屋を持つ2023年までには、およそ11年かかりました。現役だった年月と、ほぼ同じ長さです。

部屋付き親方として過ごしたおよそ11年

相撲部屋の親方には、自分の部屋を構えて弟子を取る部屋持ち親方と、どこかの部屋に所属して弟子の指導にあたる部屋付き親方がいます。引退後の雷親方が務めていたのは、後者でした。

同じ出羽海一門の藤島部屋、武蔵川部屋で部屋付き親方を務め、2020年9月に入間川部屋へ移りました。

入間川部屋の部屋付き親方だったころは、毎朝3時半に東京の自宅を出て、2時間かけて埼玉の部屋まで通っていました。

この年月が、のちの部屋につながりました。

参考:日刊スポーツ「元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え『雷部屋』62年ぶり復活」(2023年1月26日)CHANTO WEB「垣添栄美 日本一の元相撲女王が雷部屋のおかみになった訳」(2026年3月19日)

2023年2月1日、62年ぶりの雷部屋

2023年1月26日、日本相撲協会が入間川部屋の継承を承認しました。入間川親方(元関脇・栃司)が同年4月に65歳の定年を迎えるためです。

2月1日付で部屋付きの雷親方が入間川部屋を継ぎ、名称も雷部屋に変わりました。

雷は年寄名跡のひとつです。初代は雷権太夫といい、貞享元年(1684年)に江戸で勧進相撲が許可されたときの勧進元と伝えられています。以後、江戸相撲を代表する名跡でした。

明治期には、第20代横綱の梅ヶ谷藤太郎(2代)が活躍しました。常陸山と同時に横綱を免許され、「梅常陸」と呼ばれた時代をつくった横綱です。この梅ヶ谷が、大正4年(1915年)の引退後に年寄「雷」を継いでいます。

その名跡を継いでいるのが、元小結の垣添です。部屋としての再興は62年ぶりでした。

参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館

このときの弟子は、ウクライナ出身の幕下・獅司を含む7人でした。

看板を掲げた日、雷親方はこう話しています。

「緊張感でいっぱい。初心に戻り、社会人としても通用する、いい弟子を育てていく」

「身が引き締まる思い。名前に負けないよう、一生懸命頑張らないと」

参考:デイリースポーツ「元垣添の雷親方が入間川部屋継承 雷部屋に名称変更」(2023年1月26日)日本経済新聞「部屋継承の雷親方『初心に戻る』 新看板を披露」(2023年2月1日)雷部屋公式サイト

継承した年の秋、故郷の宇佐市で合宿

雷親方は2012年から、生まれ育った宇佐市の観光大使を務めています。

そして部屋を持って最初の秋、その宇佐市に力士を連れて行きました。2023年10月20日から28日まで、宇佐市総合運動場で行われた合宿の様子です。歓迎式で市長から言葉を受けたあと、雷親方が会見で語る場面が入っています。

会見では、故郷で合宿を行う思いをこう語っています。

「相撲を普及することが私ができるささやかな恩返しとずっと思っていて、今回実現できたのでうれしく思っている」

引退相撲の日に口にした「恩返し」が、10年後にこういう形になりました。

参考:TOSテレビ大分「大相撲九州場所を前に古里で初の合宿 元小結・垣添の雷親方率いる雷部屋 宇佐合宿スタート 大分」(2023年10月20日)

雷部屋のいま

2026年9月場所時点で、雷部屋には10人の力士がいます。番付の上位は西前頭九枚目の獅司関で、2023年に幕下だった弟子が幕内まで上がりました。

看板を掲げたのはさいたま市でしたが、2026年9月場所時点の所在地は東京都墨田区業平です。

そんな雷部屋では2026年5月場所、雷親方の母校である日本体育大学出身の火雷紅莉栖(ほのいかづち くりす)が、幕下最下位格つけ出しで初土俵を踏みました。本名はリ・ビル・クリストファーといいます。

師匠と同じ、つけ出しでの入門です。190.0センチ、163.0キロ。2026年9月場所の番付は西幕下45枚目です。

入門を表明した2026年2月の会見で、雷親方はこう話しています。

「大相撲の生活に慣れれば面白い存在になる。素晴らしいものを持っている」

参考:日本相撲協会「相撲部屋のご紹介 雷部屋」日本相撲協会「火雷 紅莉栖 力士プロフィール」東京新聞「日体大リ・ビル・クリストファーが雷部屋に入門」(2026年2月9日)

AI横綱くん
AI横綱くん

うむ。雷の名は、貞享のむかしから続いておる。

だが部屋としては、62年のあいだどこにも無かった。

看板を掛け直すというのは、無かったものをもう一度立てるということじゃ。

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雷親方の家族

雷親方には、妻の栄美さんと、長男の玄空、長女の星空さんがいます。

このうち雷部屋にいるのは2人です。栄美さんがおかみさんを務め、玄空は力士として所属しています。長女の星空さんは、玄空と同じ埼玉栄高校の相撲部で相撲に取り組んでいます。

参考:日刊スポーツ「雷親方と相撲日本一経験おかみさん長男が入門」(2026年4月19日)

妻・栄美さん(雷部屋のおかみさん)

おかみさんの垣添栄美さんは、女子相撲の重量級で3度の日本一に輝いた人です。日本大学相撲部で初めての女子部員でもありました。

2023年2月の部屋継承にあわせて、おかみさんになっています。

なお、栄美さんがどんな道のりでおかみさんになったのかは、別の記事で書いています。

雷部屋のおかみさん垣添栄美とは?獅司が慕う母を元力士が解説雷部屋のおかみさん・垣添栄美さんはどんな人なのかを、元力士が解説します。女子相撲で3度の日本一に輝いた経歴、2023年の部屋継承、獅司関から「ママ」と呼ばれる関係、2026年に入門した長男・垣添玄空の序ノ口優勝まで、時系列でまとめて紹介します。...

長男・垣添玄空

長男の垣添玄空(かきぞえ はるく)は、2026年5月場所で初土俵を踏みました。番付に四股名が載った最初の場所となる7月場所で、7戦全勝の序ノ口優勝を果たしています。

父が師匠で、母がおかみさんという部屋に入ったことになります。

そんな玄空がどんな相撲を取るのかは、こちらの記事にまとめてあります。

垣添玄空(はるく)は雷親方の息子|序ノ口優勝の鮮烈デビューを元力士が解説垣添玄空(かきぞえ はるく)は、雷親方の長男として2026年5月に初土俵を踏んだ力士です。2場所目の7月場所で7戦全勝の序ノ口優勝。読み方や身長体重、埼玉栄高校で本格的に相撲を始めた経緯、決まり手の傾向まで、元力士が解説します。...

雷親方に関するよくある質問

番付や所在地は動くので、ここでは2026年9月場所時点の情報で答えます。

Q1. 雷親方の読み方は?

A. 「いかづちおやかた」と読みます。部屋の名も雷部屋(いかづちべや)で、「かみなり」とは読みません。

年寄名としての表記は「雷 徹」です。日本相撲協会は年寄名も部屋名も「いかづち」と書きますが、事典や新聞では「いかずち」と書かれることもあります。

Q2. 雷親方は誰ですか?

A. 元小結の垣添徹です。1978年8月12日生まれ、大分県宇佐市の出身で、2026年9月場所時点で48歳になります。

日本体育大学で学生横綱になり、2001年9月場所に幕下15枚目格つけ出しで初土俵を踏みました。

Q3. 雷親方の現役時代の四股名は?

A. 「垣添」です。本名の垣添徹をそのまま四股名にしていました。

2004年3月場所で新小結となり、三賞は技能賞を1度受けています。

Q4. 雷親方は亡くなったのですか?

A. いいえ。2026年9月場所時点で、雷部屋の師匠を務めています。日本相撲協会では委員の役職にあります。

Q5. 雷親方はなぜ入間川部屋へ移ったのですか?

A. 部屋を継ぐためです。藤島部屋、武蔵川部屋で部屋付き親方を務めたのち、2020年9月に入間川部屋へ転籍しました。

そして2023年2月1日、定年を迎える入間川親方(元関脇・栃司)から部屋を受け継いでいます。

参考:日刊スポーツ「元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え『雷部屋』62年ぶり復活」(2023年1月26日)さんたつ by 散歩の達人「角界の名門『雷部屋』の名が62年ぶりに復活」(『散歩の達人』2024年5月号)

Q6. 雷親方の息子は誰ですか?

A. 長男の垣添玄空(かきぞえ はるく)です。2026年5月場所で初土俵を踏み、7月場所で序ノ口優勝を果たしました。

雷部屋に所属しているので、父が師匠、息子が弟子という関係になります。

まとめ

雷親方は、元小結の垣添徹です。学生横綱として幕下つけ出しで土俵に上がり、小結まで進んで、2012年に現役を退きました。

そこから自分の部屋を持つまでには11年あります。部屋付き親方として弟子を見ながら過ごした年月で、2023年に入間川部屋を継ぎ、雷部屋の名を62年ぶりに戻しました。

僕が番付の上に見慣れない名前を見つけたのは2001年のことですが、その名前がどこまで行くのかは、当時の僕には分かりませんでした。

2026年9月場所時点の雷部屋には、幕内の獅司関から序二段まで10人の力士がいます。そのなかには、雷親方の長男もいます。

番付表で雷部屋の力士を見つけたら、師匠がどこから来た人なのかも、少し思い出してみてください。

AI横綱くん
AI横綱くん

うむ。番付の上から始まった者が、そのまま上へ行くとは限らん。

雷親方は9場所かけて関取になり、そこからは早かった。

遅れて見える者を、早々に見限るでないぞ。

相撲観戦大好き さくら
相撲観戦大好き さくら
ここまで読んだら、相撲の知識が少し増えた気がしますね。次はクイズで確認してみると、もっと楽しく覚えられますよ!
大相撲クイズまとめ記事へのイラスト
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