獅司はウクライナ出身初の力士|本名・家族・経歴と左四つを元力士が解説
僕が現役だったころの部屋に、ヨーロッパから来た後輩がいました。言葉も生活習慣も分からないまま入ってきて、それでも一番一番を最後まで諦めずに取っていたのを覚えています。
その姿を横で見ていたので、外国から来た力士が土俵に上がるまでに何を抱えるのかは、少しだけ想像がつきます。
雷部屋の獅司関も、ウクライナから来た力士です。しかも途中で、右四つから左四つへ組み手を変えて幕内に上がっています。
こんにちは、元力士のしんざぶろうです。
力士には、たいてい得意の四つがあります。右四つか左四つか、どちらかを軸にして相撲を取ります。
その軸を、関取になってから入れ替えた力士がいます。
この記事では獅司について解説します。
ウクライナ出身初の力士です。幕下の上位で足踏みした時期を抜けて、2026年9月場所で自己最高位に番付を上げました。
え、組み手って変えられるものなんですね。
得意な形はひとつだと思っていました。しかも変えたのが、怪我をしたあとなんですね♪
獅司はどんな力士か
獅司 大(しし まさる)は、ウクライナ南部ザポリージャ州の出身で、雷部屋に所属する力士です。
193センチの上背があり、得意技は押しです。ウクライナで生まれ育った力士としては、獅司が最初のひとりになります。
プロフィール
番付や体重は場所ごとに動くので、ここに書いた数字は2026年9月場所時点のものになります。
■獅司のプロフィール
〇2026年9月場所時点
- 四股名:獅司 大(しし まさる)
- 本名:ソコロフスキー・セルギイ
- 生年月日:1997年1月16日
- 出身地:ウクライナ・ザポリジャ
- 所属部屋:雷部屋
- 身長・体重:193.0センチ/182.0キロ
- 得意技:押し
- 初土俵:2020年3月場所
- 新十両:2023年7月場所
- 新入幕:2024年11月場所
- 最高位:前頭9枚目
- 番付:西前頭9枚目
- 生涯戦歴:231勝178敗2休(39場所)
四股名の読み方と、どんな相撲を取るのか
番付に載るのは「獅司」で、下の名前の「大」まで入れて獅司大(しし まさる)と読みます。入門したのは入間川部屋で、当時の師匠は元関脇・栃司でした。
まだ幕下だった2022年には、部屋付きの若藤親方から「ミニ把瑠都。スグ幕内になれる」と評されています。把瑠都はエストニア出身の元大関で、198センチの長身から一気に前へ出る相撲を取った力士です。
そんな獅司がどんな相撲を取るのかは、2026年7月場所11日目、琴栄峰との一番が分かりやすいと思います。がっぷり組んでから、左の上手を引いて前に出るところに注目してください。
参考:FRIDAYデジタル「初のウクライナ出身力士・獅司 意外な評判と日本との不思議な縁」(2022年3月27日)
193センチって、土俵ではかなり高いほうなんだ。
背が高いと重心も高くなるから、低く当たってこられるとつらい場面もある。でも、まわしを取ってしまえば今度はこっちの腕の長さが効いてくるんだよね。
メリトポリから角界へ
獅司が生まれ育ったのは、ザポリージャ州のメリトポリです。
最初に打ち込んだ競技は相撲ではありません。6歳からレスリングを始め、相撲と出合ったのは15歳のときでした。ただ、相撲の稽古を本格的に積むようになったのは2018年に日本へ渡ってからで、獅司自身も相撲を始めた年齢を21歳と答えています。
来日のきっかけを、本人はこう話しています。
「世界大会3位になって、日本においでってスカウトされた」
日本に来てからは、まず時津風部屋で稽古をしました。そのあと入間川部屋に入門し、2020年3月場所で初土俵を踏みます。
ただ、日本に来てからの最初の数年は、土俵の外で苦しんでいます。
「最初の1~2年、ずっと泣いてたっす。日本語わかんない。あと寂しい」
日本語は、稽古場と部屋の生活で耳から覚えていきました。
「みんなが喋っているの聞いた。勉強は一回しかしてないっす」
参考:Yahoo!ニュース エキスパート・飯塚さき「『かな獅司』でなく『うれ獅司』に」(2023年9月7日)/日刊ゲンダイ「獅司はレスリングスタイルから脱却したウクライナ人関取第1号」(2024年11月14日)
ウクライナと大相撲の縁は、獅司が初めてではありません。
■ウクライナにつながる横綱がいた
昭和の大横綱・大鵬の父は、ウクライナ人のマルキャン・ボリシコです。母は日本人で、大鵬は1940年に当時日本領だった樺太の敷香町で生まれ、北海道の弟子屈町で育ちました。2011年にはウクライナから友好勲章を受けています。
日本相撲協会が大鵬の出身地として記録しているのは北海道です。
入間川部屋から雷部屋へ
獅司をめぐる環境が変わったのは、2023年2月です。
2023年2月1日、定年を迎える入間川親方から部屋付きの雷親方(元小結・垣添)が部屋を引き継ぎ、名称も雷部屋に変わります。獅司はこのとき、まだ幕下でした。
継承のとき、雷親方は獅司にこう問いかけています。
「おまえはスターになれる可能性がある。厳しくするけど、ついてこれるか」
返ってきたのは「はい、しっかり頑張ります」という答えでした。この年の7月場所で、獅司は関取になります。
参考:日本経済新聞「大相撲でウクライナ出身初の関取誕生 獅司『故郷のパパとママ助ける』」(2023年7月6日)
日本語が分からないまま部屋に入って、泣いていた時期があったんですね。
それを聞いてから取組を見ると、土俵に上がっているだけでもすごいことなんだなって思えてきます♪
なお、その雷親方がどんな道のりで部屋を持つに至ったのかは、別の記事で書いています。
獅司の番付の歩み
初土俵から関取までは3年4か月かかりました。序ノ口から幕下までは4場所続けて6勝を挙げて上がっていますが、幕下に上がってからの約2年間は、幕下の中で番付を上げ下げする時期が続きます。
抜け出したのは2023年に入ってからです。1月場所から3場所続けて勝ち越し、5月場所を西幕下2枚目で6勝1敗として、7月場所での新十両が決まりました。
ウクライナ出身で関取になったのは、獅司が初めてです。昇進を伝えられたときの気持ちを、本人は言葉遊びで表しています。
「新十両は『うれ獅司』です」
十両優勝から、幕内へ
2024年11月場所で新入幕を果たしますが、この場所は5勝10敗と負け越し、十両へ戻ることになりました。
ところが、その十両で結果が出ます。2025年1月場所、西十両4枚目で13勝2敗をあげ、十両優勝を決めました。
その千秋楽の様子を、日本相撲協会公式Xが伝えています。
<千秋楽の様子>
十両優勝が決まりました。
優勝は 獅司(西十両四枚目)雷部屋です。#sumo #相撲 #一月場所 #初場所— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) January 26, 2025
この優勝で幕内に戻ってから、獅司は十両に落ちていません。2025年3月場所から2026年9月場所まで、10場所続けて幕内に名前があります。
関脇と当たった2026年1月場所
幕内で星を伸ばすと、終盤に上位と組まれることがあります。終盤の取組は、その時点の成績や優勝争いも考慮して編成されるため、番付が離れた上位力士と当たることになります。
2026年1月場所、東前頭14枚目の獅司は12日目までに9勝3敗としました。13日目に組まれたのは、同じ9勝3敗だった東関脇の霧島です。番付では10枚以上離れています。
この一番は霧島が制しました。獅司はここから千秋楽まで3連敗し、9勝6敗で場所を終えています。
番付の推移
節目になった場所だけを抜き出すと、歩みはこうなります。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 場所 | 番付 | 成績 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2020年3月場所 | 前相撲 | ー | 初土俵 |
| 2023年5月場所 | 西幕下2枚目 | 6勝1敗 | 新十両が決まる |
| 2023年7月場所 | 東十両12枚目 | 9勝6敗 | 新十両 |
| 2024年11月場所 | 東前頭16枚目 | 5勝10敗 | 新入幕 |
| 2025年1月場所 | 西十両4枚目 | 13勝2敗 | 十両優勝 |
| 2026年1月場所 | 東前頭14枚目 | 9勝6敗 | 13日目に関脇・霧島と対戦 |
| 2026年7月場所 | 西前頭14枚目 | 10勝5敗 | 自己最多タイ/左肩手術明け |
| 2026年9月場所 | 西前頭9枚目 | ー | 自己最高位/9月13日初日 |
うむ。新入幕で5勝10敗というのは、幕内の速さに合わなかったということじゃ。
だが獅司は、落ちた先の十両で13勝を挙げて戻ってきた。番付を落とした直後の場所で二桁勝つのは、たやすいことではない。負け越した記憶を抱えたまま、次の場所の初日が来るからのう。
そして2026年に入ってからは、前頭の下から関脇と当てられる位置まで来ておる。
なお、その9月場所の日程や見どころは、別の記事にまとめてあります。
獅司はどんな相撲を取るのか
獅司の得意技は押しです。ただ、実際に土俵で出ている決まり手は、それだけではありません。
決まり手は寄り切りが最多
協会公式の集計では、獅司の決まり手はこうなっています。
■決まり手の傾向
〇2026年9月場所時点、過去6場所の47勝に占める割合(90取組47勝)
- 寄り切り 34%
- 押し出し 30%
- 押し倒し 6%
- その他 30%
押し出しと押し倒しを足すと36%で、寄り切りの34%とほぼ並びます。押しの力士として入ってきた獅司が、相手と組んで前へ出る寄りの相撲でも白星を挙げているということになります。
右四つから、左四つへ
四つの左右は、どちらの腕を相手の脇の下へ差し込むかで決まります。左四つは左を差して右の上手を取る形で、右四つはその逆です。
もともと獅司は右四つでした。左四つへ移った背景のひとつが、関取に上がる前に左上腕の筋肉を断裂したことです。右四つでは左手が上手になるため、相手を十分に引きつけられなくなりました。
十両からなかなか抜け出せずにいた獅司に、左四つを勧めたのが雷部屋のおかみさんである垣添栄美さんです。栄美さんは女子相撲で日本一に輝いた選手で、現役時代に得意としていたのが、その左四つでした。獅司からは「ママ」と呼ばれています。
「左四つだったら教えられる。やってみなさい」
ただし、左四つだけで取っているわけではありません。2026年7月場所11日目の琴栄峰との一番は、右四つでがっぷり組んだ体勢から左の上手を引き、1分ほどの力相撲を寄り倒しで制しています。
右四つを基本としていたところから左四つを身につけ、そのうえで展開によっては以前の右四つでも取る。どちらか一方に決めつけずに、組んだあとにどちらの手を差しているかを見るほうが、獅司の相撲は分かりやすいと思います。
参考:中日スポーツ「獅司、幕内昇進は『ママ』の教え、世界一経験者得意技『左差し』が転機」(2024年10月28日)/BBMスポーツ「【相撲編集部が選ぶ名古屋場所11日目の一番】1分の力相撲も、琴栄峰2敗目」(2026年7月22日)
差す手を左右で入れ替えるって、お箸を持つ手を替えるくらいの話ですよね。
しかも獅司関は、それを怪我をしたあとに関取の土俵でやっているんですね。次からは、どっちの手を差しているか探しながら見てみます♪
四つの左右の見分け方そのものは、別の記事でまとめています。
左四つを勧められた経緯のほうは、おかみさんを主役にした記事で詳しく書いています。
左肩の手術から、名古屋場所の10勝へ
2026年7月場所の獅司は、手術明けの体で土俵に上がっていました。
昨年の九州場所から痛んでいた左肩
左肩に痛みが出ていたのは、2025年11月の九州場所からです。2026年5月場所の千秋楽翌日にあたる5月25日、全身麻酔で変形した骨を5〜6センチ削る手術を受けました。
手術前の様子は、おかみさんの栄美さんが話しています。
「獅司は痛くて寝られない状態が続いていたこともありました。肩がロックした状態で上がらなくて」
傷が癒えるまでは6週間と告げられていました。
稽古再開は初日の4日前
相撲を取る稽古を再開できたのは、7月場所初日の4日前です。ぶっつけ本番で臨んだ場所でした。
稽古ができないあいだにやったのは、体を大きくすることです。栄美さんに大好物のじゃがいも料理を振る舞ってもらい、約10キロ増やしました。師匠の雷親方は「重みが相撲に出ている」と話しています。
その状態で、獅司は西前頭14枚目から6連勝の出足を切ります。5日目に左からのすくい投げで竜電を下して5連勝としたとき、本人はこう話しました。
「何も考えてない。自分の相撲を取っていければ」
11日目には、1敗で優勝争いの先頭に並んでいた琴栄峰と当たります。獅司は約1分の力相撲を寄り倒しで制し、9勝2敗としました。
「全部出した。最後までまわしを取っていた」
優勝争いについて聞かれると、返ってきたのは「日本語分からない」というかわし方でした。同じウクライナ出身で単独首位に立っていた安青錦とは、この時点で1差です。
翌12日目の相手は朝乃山です。過去3度当たって、獅司はまだ勝てていませんでした。
栄美さんは場所中も東京から電話で技術面の助言を送っていました。この日渡したのは、まわしを取りにいくことと、もうひとつの心構えです。
「ライオンみたいに暴れてこい」
四股名の「しし」になぞらえた言葉でした。獅司はがっぷり四つから左に振り、体を倒しながらの下手投げで朝乃山を下します。5場所ぶり2度目の2桁勝利でした。
「おかみさんの作戦通り」
この日は安青錦も敗れ、獅司は2敗の首位に並んでいます。
終盤に3連敗して優勝には届きませんでしたが、10勝5敗。幕内では2025年9月場所と並ぶ、自己最多タイの白星でした。1月場所と同じく、終盤の3番を落とす形でもありました。
参考:中日スポーツ「獅司、『何も考えてない』無欲の姿勢で5連勝」(2026年7月16日)/スポーツ報知「平幕・獅司が1敗の琴栄峰を倒して2敗を守る」(2026年7月22日)/スポーツ報知「獅司“ライオン作戦”で2敗守り最多タイ10勝」(2026年7月23日)
初日の4日前まで相撲を取る稽古ができていないって、普通は体が動かないんだよね。
当たりの強さも、押し合いで足が出るかどうかも、稽古で相手にぶつかっていないと感覚が戻らない。そこから6連勝は、正直どうやったんだろうって思うよ。
夏巡業は休場
場所後の7月30日、日本相撲協会が夏巡業を休場する力士9人を発表しました。獅司もそのひとりで、理由は左肩関節腱板損傷と前歯歯牙脱臼です。夏巡業は8月2日に岐阜市で始まっています。
そのうえで迎える9月場所は、9月13日が初日です。自己最高位の西前頭9枚目から土俵に上がります。
参考:デイリースポーツ「大相撲夏巡業の休場者は9人」(2026年7月30日)
母国の家族と、収入の半分
ロシアによる侵攻が始まってから、獅司は母国へ帰れなくなりました。両親は2026年7月の時点で、ウクライナのザポリージャに住んでいます。
獅司は関取になる前から、収入の半分を実家へ送り続けてきました。十両に上がって額が増えたころには送金が受け付けられないこともあり、そのたびに方法を変えて続けています。
2024年11月場所で新入幕した当時、獅司はこう話しました。
「今、ママとパパは大変だから。頑張って幕内でお金をいっぱいもらって、ウクライナに送る」
両親と直接会える機会も、一度は見えていました。2026年6月のパリ公演です。獅司は「もしかしたら(パリで)会えるかも」と期待していましたが、両親がビザを取得できず、対面は実現していません。観戦に来たウクライナの人たちと食事をして帰っています。
家族については、弟が日本にいることが公表されています。結婚しているかどうかは公表されていません。関取に昇進したときには両親へ報告し、「おめでとう」と祝福されたといいます。
参考:中日新聞「ウクライナから角界へ、新入幕の獅司と新十両の安青錦 家族思い九州場所へ奮起」(2024年11月7日)/中日スポーツ「獅司、『何も考えてない』無欲の姿勢で5連勝」(2026年7月16日)
異国の土俵で稼いだ金を、半分も国へ送る。口で言うほど簡単な話じゃねぇぞ。
自分に使う分を、そのぶん削るということだからな。しかも獅司は、関取になって月給が付くのを待たずに始めている。そこが本物の証だ。
なお、同じウクライナ出身の安青錦については、別の記事で扱っています。
元力士から見た獅司の相撲
獅司が組み手を変えたときに何を感じていたのかは、僕には分かりません。ここからは獅司の話ではなく、番付の下のほうを歩いた、現役のころの僕の話です。
押しは教わるもの、四つは覚えるもの
現役のころ、僕が師匠から教わったのは押しでした。力の差がある相手だと、たいてい向こうが胸を出してくれるので、ひたすら押していれば形になったからです。
四つのほうは、早朝の三番稽古で番付が近い者どうしが組むうちに、自然と身についていきました。教わって覚えたというより、何度も組んでいるうちに体が覚えたという感覚です。
このあたりの覚え方の違いは、押し相撲を武器にしている力士を扱った記事のほうで詳しく書いています。
右四つから左四つへ変える難しさ
ここも、現役のころの僕の話です。左右のどちらでも同じように動けるわけではないことを、稽古で言われて初めて知りました。
きっかけは、兄弟子との稽古が終わったあとにもらった一言でした。
「右のまわしを切るのは上手いのに、左は切らないんだな」
切らないのではありません。切れなかったんです。しかも、言われるまで自分ではまったく意識していませんでした。
気になったので、稽古のあと、土俵の外でひとりで確かめてみました。
やってみると、左だけまったく切れません。体のひねり方も、腕の出し方も、肘の使い方も、思ったようにできませんでした。
それからは、左でも切れるように意識して稽古をしました。それでも、最後までうまくいかないままでした。
言われるまで気づかないっていうの、すごく分かるなあ。
稽古中は相手を見てるから、自分の腕がどう動いているかまで意識が回らないんだよね。
しかも、できないほうの動きって、やろうとした瞬間に体が固まってしまうことがあるんだ。
いま振り返ると、僕が試したのは「まわしを切る」という動作ひとつです。獅司が変えたのは組み手そのものなので、並べて語れるものではありません。
それでも、右でも左でも自分の相撲が取れる力士は、相手からすると脅威になります。力士には得意の四つがあり、相手はそちらに組ませないように攻めてくるからです。片方を封じても、もう片方で取られてしまうのなら、その狙いが立たなくなります。
獅司の素顔
土俵を下りた獅司がどんな人物なのかは、協会が公開している力士アンケートから見えてきます。
■獅司の力士アンケート
- 相撲を始めた年齢:21歳
- 好きな食べ物:寿司(特に甘エビ)
- 趣味・マイブーム:寝ること
- 好きな漫画・アニメ・映画:MARVEL
- 応援しているスポーツチームや選手:レスリング
座右の銘と、相撲界で自分がNo.1だと思うことを尋ねる項目には、どちらも「なし」と答えています。
移動手段の好みもはっきりしていて、こう話したことがあります。
「獅司、電車好き!車?No, no, 電車で行く!」
参考:Yahoo!ニュース エキスパート・飯塚さき「『かな獅司』でなく『うれ獅司』に」(2023年9月7日)
獅司に関するよくある質問
番付や体格は場所ごとに動くので、ここでは2026年9月場所時点の数字で答えます。
Q1. 獅司の読み方・本名・年齢・出身地は?
A. 獅司は「しし」と読みます。下の名前まで入れると獅司大(しし まさる)です。本名はソコロフスキー・セルギイ、1997年1月16日生まれで、2026年9月場所の初日の時点では29歳でした。出身地はウクライナ・ザポリージャ州のメリトポリです。
Q2. 獅司の身長と体重は?
A. 身長193.0センチ、体重182.0キロです。まだ幕下だった2022年3月の時点では191センチ165キロでした。2026年5月の左肩の手術で稽古ができない期間には、じゃがいも料理で約10キロ増やしています。
Q3. 獅司の得意技は?
A. 得意技は押しです。ただし過去6場所の決まり手では寄り切りが34%で最多となっており、まわしを取って前に出る相撲も増えています。
Q4. 獅司はウクライナ出身で初めての力士ですか?
A. ウクライナで生まれ育った力士としては、獅司が最初です。関取になったのも2023年7月場所の獅司が最初になります。
ただし、ウクライナとの縁はそれより前からあります。昭和の大横綱・大鵬の父はウクライナ人で、大鵬自身は樺太で生まれ、北海道で育ちました。
Q5. 獅司の家族は?
A. 両親は2026年7月の時点でウクライナのザポリージャに住んでおり、弟は日本にいます。獅司は関取になる前から収入の半分を実家へ送り続けています。
まとめ
獅司はウクライナで生まれ育った最初の力士で、2026年9月場所で自己最高位となる西前頭9枚目に上がりました。初土俵から6年半かかっています。
その6年半で変わったのは、体の大きさだけではありませんでした。押しの力士として入り、幕下で足踏みし、怪我をきっかけに右四つから左四つへ組み手を変えています。しかも直前の名古屋場所は、左肩を手術して、相撲を取る稽古を再開してから4日で初日を迎えた場所でした。そこで10勝しています。
僕が現役のころ、稽古で兄弟子に言われて左を試したことがあります。結局、最後までできませんでした。組み手を入れ替えて幕内で10勝した力士がどれだけのことをしたのかは、そこから想像するしかありません。
9月場所の獅司は、まだ立ったことのない番付から相撲を取ります。組んだあと、こらえてから前に出られるかどうか。そこを見ていると、この力士の6年半が分かると思います。
うむ。組み手を変えるというのは、それまで積み上げたものを一度手放すことじゃ。
怪我をして、そのまま元の形にしがみつく者もおる。獅司は変えた。そのうえで幕内に戻り、肩を切ったあとの場所で10勝を挙げておる。
自己最高位は、通過点にすぎん。しかと見届けてやってほしい。



















