安青錦はなぜ特例で大関復帰できた?陥落から返り咲きの経緯を元力士が解説
現役のころ、僕がいた部屋に、幕内から十両へ番付を下げた関取がいました。当時の僕は三役の付き人をしていたので、その関取とも毎日のように顔を合わせます。
番付を下げたとはいえ関取ですから、ないがしろにはできません。かといって、幕内の関取と同じ扱いをするわけにもいきません。部屋の中では話題に出しづらい空気があって、誰かに相談することもできませんでした。
番付が下がるというのは、本人の成績が変わるだけの話ではありません。周りの接し方まで変えてしまう出来事なんです。
こんにちは!元力士のしんざぶろうです。
安青錦新大(あおにしき あらた)関は、ウクライナ出身で初めて大関に上がった力士です。ところが、その大関の地位を一度手放しています。そして、1場所で取り返しました。
上がって、落ちて、また戻ってきた。この短いあいだに何があったのかは、星取表を眺めていても見えてきません。
この記事では、安青錦がなぜ大関から陥落し、どうやって特例で大関に復帰できたのかを解説します。
うむ。大関から落ちた者が、次の場所で戻ってくるのは容易ではない。
落ちた原因が体のほうにあるなら、その体のままで10勝を積まねばならんからな。
なお、安青錦の四股名の由来や、ウクライナから日本へ渡るまでの経緯、家族のことは、別の記事にまとめています。
安青錦はなぜ大関から陥落したのか?
安青錦が大関から落ちたのは、2026年3月場所で負け越し、続く5月場所を全休したからです。大関は2場所続けて負け越すと関脇に下がります。
新大関として迎えた2026年1月場所は、12勝3敗での優勝でした。大関に上がって最初の場所で賜盃を抱いたのですから、滑り出しとしては申し分ありません。
ところが、次の3月場所は7勝8敗。初土俵からの負け越しは、このときが最初でした。
その背景にあったのが、左足の怪我です。場所の途中で痛め、場所後の検査で骨折が分かりました。診断は左第5趾基節骨骨折、つまり左足の小指の付け根の骨折です。安青錦は春巡業を離脱しています。
かど番で迎えた5月場所は、初日から全休
負け越した大関は、次の場所を「かど番」として迎えます。そこで勝ち越せば大関に残り、負け越せば関脇に下がる。安青錦にとっては、初めてのかど番でした。
かど番は通称です。囲碁や将棋の七番勝負で、負けが決まる一局を「角番」と呼ぶことから来ています。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館
検査では、小指のほかに尾てい骨も折れていました。この2か所は、5月15日の時点では回復しています。
ところが場所前の稽古で、今度は左足首を痛めました。5月場所の安青錦は、その1番も取れません。診断に記されたのは左足関節捻挫と左足関節外側靱帯損傷で、初土俵からの休場はこれが最初でした。
治療を続けながら再出場を目指していましたが、6日目の5月15日、師匠の安治川親方が全休を明らかにします。
「何とか出場する方向でやってきましたが、今場所は再出場しないことに決めました。無理はさせられませんので」
これで2場所続けて勝ち越せなかったことになり、関脇への陥落が決まりました。新大関から在位3場所での陥落は、名寄岩、三重ノ海と並ぶ昭和以降2番目の短さです。
参考:日刊スポーツ「カド番大関の安青錦は夏場所全休 来場所は関脇陥落へ 尾てい骨も骨折していた」
陥落が決まった日に、師匠が口にしていたこと
安治川親方は同じ日、次の場所についてこう話しています。
「来場所は10番というより、優勝を目指して」
10番、つまり10勝が大関へ戻る条件です。師匠が挙げたのは、その条件ではなく、その先にある優勝のほうでした。
参考:中日スポーツ「休場の安青錦、全休で大関から陥落へ 安治川親方「再出場しないことに決めました」」
怪我を抱えたまま土俵に上がるということ
安青錦は三月場所の途中で左足を痛め、それでも千秋楽まで土俵に上がり続けました。そのあいだ何を考えていたのかは、僕には分かりません。
ここからは安青錦の話ではなく、怪我をしたまま土俵に上がっていた、現役のころの僕の話です。番数も番付もまるで違いますし、僕が痛めたのは足ではなく腰でした。
本場所の取組で、腰から土俵下に落ちて強打しました。何とか自分の足で花道を下がりましたが、前かがみになるといった日常の動作もままならないほどの痛みでした。
その場所は途中まで勝ち越していましたが、そこから一つも勝てないまま終わりました。
というのも、腰をやると、相手を残すことも押すこともできないからです。腰は体の中心なので、何をするにも負荷がかかります。
それでも、残りの取組は休まずに土俵へ上がりました。結果は、何もできないままでした。
こたえたのは、その場所が終わったあとのほうです。1か月ほどは四股を踏むことすらできず、稽古場では他の力士を眺めているしかありませんでした。
たった1場所とその後の1か月でもこれだったので、3月の負傷から復帰を決めた7月までを安青錦がどんな気持ちで過ごしていたのかは、僕には想像がつきません。
腰をやると、本当に何もできなくなるんだよね。体の真ん中だから、どこを動かしても響いてくる。
足の指も、体重を乗せる最後のところ。場所の途中でそこを痛めて、それでも千秋楽まで取ったっていうのは、想像するだけできついよ。
怪我で土俵を離れた力士が、そこからどうやって戻ってくるのかは、生田目の記事のほうで詳しく書いています。
大関に「特例で復帰」できる条件とは?
関脇に落ちた元大関は、関脇として迎える最初の場所で10勝以上を挙げれば、大関に戻れます。番付編成要領に定められた決まりです。
関脇に下がって最初の場所で10勝すれば戻れる
通常、大関へ上がるには、三役での直近3場所の成績が重視されます。合わせて33勝あたりが目安とされますが、規則で決まった数字ではありません。ところが、陥落したばかりの元大関には、別の道が用意されています。
1場所で10勝。これを満たせば、次の場所の番付で大関に戻ります。
大関から関脇に降下した力士は、関脇として迎える最初の場所で10勝以上を挙げれば、大関に復帰できる。
日本相撲協会の『寄附行為施行細則 附属規定』にある『番付編成要領』の定めです。この形になったのは1969年(昭和44年)7月の名古屋場所から。それ以前は3場所続けて負け越さなければ降下しませんでした。降下の条件が2場所に厳しくなったのと同じときに、10勝で戻れる道がつくられています。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館
報道ではこれを「特例」「特例措置」と呼びます。ただし安青錦のために設けられたものではなく、大関から関脇に落ちた力士には、誰にでも同じ1場所が与えられます。
気をつけたいのは、その1場所が関脇に下がった直後に限られることです。そこで10勝に届かなければ、関脇や小結からあらためて大関昇進を目指すことになります。
つまり、体が本調子でないときほど条件が重くのしかかる仕組みでもあります。この決まりで大関に戻ったのは、安青錦で7人目、8例目です。人数と回数が違うのは、栃東が2度戻っているからです。過去には貴ノ浪、武双山、栃東らがいます。
参考:スポニチアネックス「関脇・安青錦が10勝到達『特例措置』での大関復帰は7人目 過去には貴ノ浪、武双山、栃東ら」
「10勝」は、土俵では「あと一番」としてやってくる
10勝という条件は、文字にすれば数字が一つあるだけです。けれども土俵の上では、その数字が「あと一番」という形でやってきます。
僕にも、あと一つ勝てば三段目に上がれるという一番がありました。番付は大関と序二段でまるで違いますが、意識しすぎて体が動かなくなったことは、はっきり覚えています。自分が何をしたのか覚えていないまま、負けていました。
だから、復帰が懸かった10番目の白星というのは、外から数えるほど機械的なものではないと思っています。
1場所で戻った大関に、伝達式はない
同じ大関復帰でも、戻り方によって扱いが変わります。
番付編成要領には、関脇に下がって最初の場所で10勝以上を挙げて復帰した場合、当日の発表と使者の派遣を行わないと書かれています。一方、10勝に届かず何場所かかけて戻った力士のもとへは、使者が派遣されます。
大関昇進が決まった力士のところへ協会の使者が向かう、あの場面です。1場所で戻ってきた力士は、そこを通らずに大関へ帰ります。安青錦の復帰は、こちらに当たります。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館
うむ。この定めが世に出たのは昭和四十四年、名古屋の場所じゃ。
落ちる条件が二場所に厳しくなった、そのときに同時に開かれた道である。片方だけを見ておっては、この決まりの形は分からぬ。
そもそも関脇や大関がどういう地位なのかについては、三役をまとめた記事があります。
名古屋場所で安青錦はどう復帰を決めたのか?
2026年7月の名古屋場所で、西関脇の安青錦は12勝3敗。条件の10勝を超えたうえ、優勝まで手にしました。
名古屋場所の安青錦は、左足を治しきらないまま土俵に上がっています。それでも白星を重ね、11日目に東前頭2枚目の豪ノ山を破って10勝目。この時点で1場所での大関復帰が決まりました。現行のかど番制度になってからは、最速の到達です。
参考:日刊スポーツ「【一覧】1場所での大関復帰、安青錦は現行制度下最速の11日目到達 貴景勝以来7年ぶり8例目」
千秋楽は熱海富士関に押し出しで敗れ、12勝3敗。同じ星で並んだ大関・霧島関、熱海富士との3人による優勝決定巴戦に進みます。
巴戦は、先に2連勝した力士が優勝という形です。安青錦は熱海富士、霧島の順に破り、3場所ぶり3度目の優勝を決めました。三賞では技能賞を受けています。
その結果は、日本相撲協会の公式Xにも残っています。
<安青錦優勝!>
優勝決定巴戦で熱海富士、霧島に勝ち、12勝3敗で3回目の優勝を決めました。#sumo #相撲 #七月場所 #名古屋場所
— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) July 26, 2026
熱海富士との一番、続く霧島との一番が、どんな相撲だったのか。千秋楽の巴戦は映像でも公開されています。
なお、現行のかど番制度となった1969年名古屋場所以降、この特例で大関復帰を決めた力士が、その場所で優勝した例はありません。安青錦が初めてです。
参考:時事ドットコム「安青錦が3度目V 大関復帰決めた場所で―大相撲名古屋場所」
千秋楽から一夜明けた会見で、安青錦はこう話しています。
「怖さと不安もあったが自分を信じてやりきった」
参考:NHK「大相撲名古屋場所 優勝の安青錦 “怖さと不安 やりきった”」
陥落が決まった日に師匠が挙げていた優勝に、そのまま手が届いたことになります。
決定戦を、部屋の中から見るということ
土俵に上がっているのは1人でも、その一番を見ている人数はそれよりずっと多くなります。
僕がいた部屋にも、幕下以下で優勝を果たした力士が何人かいました。決定戦になると、部屋のみんなで固唾をのんで見守ります。勝った瞬間にみんなで喜んだことは、今でも覚えています。
安治川部屋にも、あの千秋楽にそういう時間が流れていたのだろうと思います。
千秋楽で負けて、そこから2番続けて勝ったんですね。
大関に戻れることはもう決まっていたのに、よく気持ちが切れなかったなあって思います。
大関として迎える2026年9月場所の日程や番付は、秋場所の特集記事にまとめています。
最終更新日:2026年9月
元力士が見る、安青錦の相撲の強さ
安青錦の得意技は右四つ・寄りです。まわしを引きつけて体を密着させ、そのまま前に出る形を、立ち合いから短い時間で作ります。
その形は、決まり手の集計にもそのまま表れています。
■安青錦の決まり手の傾向
〇過去6場所の取組結果に基づく集計(令和8年9月場所時点・64取組45勝)
- 寄り切り 38%
- 押し出し 16%
- 寄り倒し 11%
- その他 35%
僕は四つを、稽古のなかで覚えた
僕が教わったのは押しでした。体格で上回っていれば相手のほうが胸を出してくれるので、ひたすら押していれば相撲になります。
四つは違いました。早朝の三番稽古では番付の近い者どうしが当たるので、四つ身になる場面が増えます。何番も繰り返すうちに、体のほうが先に覚えていく感じでした。教わったという記憶がありません。
だからこそ、22歳で右四つの形が固まっている力士を見ると、稽古場でどれだけの数を取ってきたのだろうと考えてしまいます。
得意の側と、その逆側
四つ相撲の力士には、得意の側があります。相手はそちらに組ませないよう攻めてくるので、逆の側でも相撲が取れるかどうかが差になります。
僕自身は、右のまわしは切れるのに左はまったく切れませんでした。意識して稽古をしても、最後まで直りません。僕の場合、利き側と逆は同じようには動かなかったということです。
安青錦が右四つ以外の形でどう戦うのかは、大関に戻ってからの見どころの一つだと思います。
まわしを取ってから前に出るまでが速いんだよね。
四つに組んだあとって、足の位置を直したり体を入れ替えたりする時間があるんだけど、その前に運ばれちゃうと何もできないまま土俵を割るんだよなぁ。
右四つ・左四つという言い方そのものが分かりにくいという方は、こちらの記事で整理しています。
安青錦の大関復帰に関するよくある質問
Q1. 安青錦はいつ大関に復帰したのですか?
A. 2026年7月の名古屋場所で12勝3敗を挙げ、続く9月場所の番付で大関に戻りました。番付が発表されたのは8月31日です。
Q2. 大関から陥落した理由は怪我ですか?
A. 直接の理由は、2場所続けて勝ち越せなかったことです。ただし、その2場所はどちらも左足の怪我と重なっています。3月場所は途中で左足小指の付け根を骨折しながら千秋楽まで出場して7勝8敗、5月場所は左足首を痛めて初日から休場しました。
Q3. 大関復帰の特例は、いつでも使えるのですか?
A. 使えるのは、大関から関脇に下がって最初に迎える1場所だけです。そこで10勝に届かなければ、関脇や小結からあらためて大関昇進を目指すことになります。
Q4. 安青錦の得意な相撲は何ですか?
A. 右四つからの寄りです。過去6場所の決まり手は寄り切りが38%で、押し出し16%、寄り倒し11%と続きます(令和8年9月場所時点)。
Q5. 大関に復帰した場所で優勝するのは珍しいことですか?
A. 珍しいことです。現行のかど番制度となった1969年名古屋場所以降、この特例で大関復帰を決めた力士が、その場所で優勝したのは安青錦が初めてです。
まとめ
安青錦は、3月場所の途中で左足の小指を骨折しながら千秋楽まで取って7勝8敗。続く5月場所を左足首の怪我で全休し、大関から関脇に落ちました。そして名古屋場所の12勝3敗で、1場所での復帰を決めています。
大関復帰の特例は、陥落した直後の1場所で10勝以上という、短くて重い条件です。体が本調子でないときにそれを満たすのは、規定の文面から受ける印象よりも、ずっと難しいことだと思います。
しかし、安青錦を語るうえで残るのは、この半年の星取りだけではありません。ウクライナから日本へ渡り、四股名を授かって土俵に上がるまでの歩みが、その前にあります。
2026年9月場所、安青錦は東大関の位置に戻りました。取り戻した番付をどう守っていくのか、そこを見ていきたいと思います。
うむ。番付は、落ちるのは1場所でも、戻るには年単位かかることもある。
安青錦関は、それを1場所でやってのけた。次は守る側だな。
その歩みのほうは、安青錦の四股名の由来や家族のことも含めて、別の記事にまとめています。

















