「巨人・大鵬・卵焼き」はいつの言葉?大鵬の強さと令和版を元力士が解説
僕の家では、父が相撲好きでした。テレビでは相撲中継が流れ、父は画面を見ながら、よく力士や取組の話をしていました。
ところが、そのころの僕にとって、大鵬は名前しか知らない力士でした。取組を見たこともなく、どれほど強かったのかも知りません。巨人も卵焼きも、聞けばすぐに何を指すのか分かります。
家で相撲中継が流れていた僕でさえ、大鵬は名前しか知らなかった。三つの言葉の中で、いま説明が必要なのは大鵬なのです。
こんにちは!元力士のしんざぶろうです。
「巨人・大鵬・卵焼き」とは、1960年代に子どもが好きだったものの代表として、三つを並べた流行語です。巨人は読売ジャイアンツ、卵焼きはそのまま卵焼き。そして真ん中の大鵬は、第48代横綱・大鵬幸喜です。
言葉そのものは知っていても、大鵬がどれほど強かったのか、なぜ巨人や卵焼きと並ぶほど人気だったのかは、いまでは記録をたどらないと見えてきません。そして、その大鵬の孫が、いまも幕内の土俵に上がっています。
この記事では、「巨人・大鵬・卵焼き」はいつの言葉なのか、大鵬はどれほど強かったのか、そして令和版に当たる言葉はあるのかを、元力士の目線も交えて解説します。
巨人と卵焼きなら、言葉を聞いただけでイメージできます。
でも、大鵬だけは「昔のすごい横綱」というところで止まっていました。どうして子どもの好きなものに入るほど人気だったのか、そこが知りたいです♪
「巨人・大鵬・卵焼き」の意味。いつの言葉か
「巨人・大鵬・卵焼き」は、1960年代の子どもが好きだったものを三つ並べた言葉です。野球の巨人、相撲の大鵬、食べ物の卵焼き。ジャンルのまったく違う三つが、子どもの人気という一点で同じ列に並びました。
三つが指すもの
三つが何を指し、当時どのような存在だったのかを並べると、こうなります。
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| 言葉 | 指すもの | 当時の位置づけ |
|---|---|---|
| 巨人 | 読売ジャイアンツ | 王貞治と長嶋茂雄を擁する人気球団。その後、1965年から1973年までリーグ9連覇・日本シリーズ9連覇 |
| 大鵬 | 第48代横綱・大鵬幸喜 | 幕内優勝32回。横綱在位は昭和36年11月から昭和46年5月 |
| 卵焼き | 卵焼き | 高度成長期から「物価の優等生」と呼ばれた鶏卵を使った、弁当の定番 |
巨人はテレビの野球中継で、卵焼きは家庭の食卓や弁当箱の中で、子どもが日常的に触れる存在でした。
大鵬も同じです。
本場所が始まれば、横綱としてテレビ中継に何度も登場します。いまの僕たちが昔の記録として見る大鵬を、当時の子どもたちは現役の人気力士として見ていたわけです。
私たちは「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉から大鵬を知りますけど、当時の子どもは逆なんですね。
毎場所テレビで見ていた横綱だからこそ、巨人や卵焼きと並べても説明がいらなかったんだと思うと、時代の違いを感じます。
いつの言葉か
この言葉が広まったのは、大鵬が横綱として活躍していた1960年代です。大鵬が横綱に昇進したのは昭和36年(1961年)11月。引退したのは昭和46年(1971年)5月で、横綱在位の大半が1960年代と重なっています。
巨人も、この時期にはすでに高い人気を集めていました。さらに1965年から1973年まで9連覇を果たし、「強い巨人」というイメージがより強く定着していきます。
大鵬が横綱として土俵の中心にいた時代に、野球では巨人、相撲では大鵬が、子どもの人気を代表する存在として並べられたのです。
参考:『相撲大事典』/日本相撲協会 相撲博物館
「逆」もある。江川・ピーマン・北の湖
好きなものを並べた言葉がある一方で、嫌いなものを並べた「逆」の表現もあります。1970年代の「江川・ピーマン・北の湖」です。
江川は、のちに巨人で活躍する江川卓。ピーマンは子どもが苦手とする野菜。そして北の湖は、全盛期に「憎らしいほど強い」と称された第55代横綱です。
こちらも野球選手と横綱が並んでいます。好き嫌いのどちらの表現にも相撲が入っていることから、当時の力士が子どもの日常にどれほど入り込んでいたのかが分かります。
大鵬はどれだけ強かったのか
では、巨人や卵焼きと並ぶほど人気だった大鵬は、実際にどれほど強かったのでしょうか。
大鵬の幕内優勝は32回です。
2013年に亡くなった時点では大相撲史上最多で、その功績によって同じ年に国民栄誉賞を受けています。
まずは、北海道から二所ノ関部屋へ入門し、横綱まで上がった歩みを見てみましょう。
■第48代横綱 大鵬幸喜(たいほう こうき)
- 本名:納谷幸喜
- 生年月日:昭和15年(1940年)5月29日
- 出身地:北海道川上郡弟子屈町
- 所属:二所ノ関部屋
- 身長・体重:187センチ/153キロ
- 初土俵:昭和31年(1956年)9月場所
- 新入幕:昭和35年(1960年)1月場所
- 横綱昇進:昭和36年(1961年)11月場所
- 引退:昭和46年(1971年)5月場所
- 幕内成績:746勝144敗136休、優勝32回
- 没:平成25年(2013年)1月19日、72歳
参考:日本相撲協会
引退後の大鵬は、還暦を迎えた平成12年(2000年)に、国技館で還暦土俵入りを披露しました。
そのときの写真が、日本相撲協会の公式Xに残っています。
<還暦土俵入り6>48代横綱大鵬(一代年寄大鵬)は、平成12年に国技館で土俵入り。太刀持ち北の湖(元横綱北の湖)、露払い九重(元横綱千代の富士)。3人とも優勝20回以上を誇る豪華な顔触れ。#sumo pic.twitter.com/X6ZZG9mZ6y
— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) April 10, 2013
写真を見るときは、両脇の太刀持ちと露払いにも注目してみてください。太刀持ちは元横綱・北の湖、露払いは元横綱・千代の富士。三人とも、幕内優勝20回以上を記録した横綱です。
新入幕の場所で、初日から11連勝
大鵬の名前が一気に広く知られるようになったのが、新入幕の昭和35年(1960年)1月場所です。19歳で幕内へ上がると、初日から11連勝しました。
その連勝を止めたのが、12日目に対戦した小結・柏戸です。決まり手は左下手出し投げでした。
当時21歳の柏戸は小結2場所目。大鵬との対戦前日に心境を聞かれ、こう答えています。
「何を言ってんだい。番付を見ろよ」
番付が上なのは自分だ、という自信が表れた言葉です。後年の柏戸は、この一言を「えらいことを言っちまったと思ったよ」と振り返っています。
この一番が、二人の初対戦でした。ここから、のちに「柏鵬時代」と呼ばれる二人の関係が始まります。
参考:BBMスポーツ
1場所7番しか取らない番付でも、勝ちが続くと「次で止まるかもしれない」って意識することがあるんだよなぁ。
まして、新入幕で初日から11連勝なんだよね。19歳で毎日幕内の土俵へ上がり続けるだけでも、相当な重圧だったと思うよ。
優勝32回、6連覇2回、全勝8回
新入幕で注目を集めた大鵬は、その後、横綱として数字を積み重ねていきます。幕内優勝は32回。そのうち、6場所連続優勝が2回、全勝優勝が8回あります。
連勝記録は45連勝です。
この32回という優勝回数は、2013年に大鵬が亡くなった時点で大相撲史上最多でした。
のちに第69代横綱・白鵬が45回で上回りますが、それまで長く誰も届かなかった数字です。
参考:『相撲大事典』/大鵬オフィシャルサイト/日本相撲協会(白鵬)
大鵬は平成25年(2013年)1月19日に72歳で亡くなりました。翌月に国民栄誉賞が贈られ、受賞理由には「大相撲史上最多となる32回の幕内優勝などの輝かしい功績」と記されています。
現役中に贈られた一代年寄「大鵬」
その強さを示すものは、優勝回数だけではありません。昭和44年(1969年)5月場所で優勝30回に達した大鵬に、日本相撲協会は同年8月、現役のまま一代年寄「大鵬」を贈りました。
参考:『相撲大事典』/大鵬オフィシャルサイト
年寄名跡は通常、引退後に継ぐものです。その中で、現役中に本人一代限りの名跡を与えられたことからも、大鵬が特別な存在だったことが分かります。
一代年寄がどのような仕組みなのかは、年寄名跡を扱った記事で詳しく書いています。
柏鵬時代。相撲が子どもの娯楽の真ん中にいた理由
大鵬が強かったことは、優勝回数を見れば分かります。ただ、それだけでは「なぜ子どもの好きなものに数えられるほど身近だったのか」は説明できません。
その背景にあったのが、テレビ中継の普及と、柏戸と大鵬が競い合った「柏鵬時代」です。
テレビ中継と「テレビ桟敷」
大相撲のテレビ中継が始まったのは、昭和28年(1953年)5月場所です。それまで会場へ行かなければ見られなかった取組を、家にいながら見られるようになりました。そこから、「テレビ桟敷」「茶の間桟敷」という言葉も生まれます。
テレビの普及とともに、人気力士の取組が家庭へ直接届くようになりました。1950年代後半には栃錦と初代若乃花の「栃若時代」、1960年代には柏戸と大鵬の「柏鵬時代」、1970年代には輪島と北の湖の「輪湖時代」。
二人の横綱が競い合う時代が続き、相撲は家庭で見る娯楽として定着していきました。
参考:『全部わかる大相撲ガイド』
本場所の会場も定まっていきます。
戦後、仮設の会場を転々としていた東京場所は、昭和25年(1950年)から建設中の蔵前国技館で開かれるようになり、昭和29年(1954年)9月の完成で腰を落ち着けました。
参考:鹿島建設
その蔵前国技館については、別の記事で詳しく書いています。
拙者の時代は、相撲を見ようと思えば足を運ばねばならなかった。見たことのない力士は、錦絵や人づての話から姿を思い描くほかなかったのである。
それが大鵬の時代には、横綱の顔も取組も茶の間まで届く。場所中に何度も目にする力士なら、子どもの日常に入っていくのも道理であろう。
柏戸の剛、大鵬の柔
柏鵬時代をつくった二人は、取り口が対照的でした。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 柏戸 | 大鵬 | |
|---|---|---|
| 代 | 第47代横綱 | 第48代横綱 |
| 出身・部屋 | 山形県鶴岡市・伊勢ノ海部屋 | 北海道弟子屈町・二所ノ関部屋 |
| 体格 | 188センチ・146キロ | 187センチ・153キロ |
| 取り口 | 立ち合いから鋭く踏み込んで前褌を取り、一気に突っ走る速攻 | 足腰が柔らかく、相手の突進を受けても上体で衝撃を吸収。左四つから掬い投げ・上手投げ |
| 横綱昇進 | 昭和36年11月(同時) | 昭和36年11月(同時) |
| 引退 | 昭和44年7月場所 | 昭和46年5月場所 |
| 幕内優勝 | 5回 | 32回 |
参考:日本相撲協会/『相撲大事典』
柏戸の剛に対して、大鵬の柔。
取り口が違う二人だったからこそ、直接対決にも見どころがありました。対戦成績は、大関時代までは柏戸が7勝3敗でリードしています。
ところが、横綱へ上がってから大鵬が追い上げ、昭和39年(1964年)初場所で並びました。昭和41年以降は、大鵬が優勢になります。
参考:BBMスポーツ
その間、柏戸は昭和38年(1963年)1月場所から7月場所まで、途中休場を含めて4場所を休みました。しかし、復帰した同年9月場所で全勝優勝を果たします。この復活は「涙の復活」と呼ばれました。
柏戸は昭和44年(1969年)7月場所で引退。その後は年寄・鏡山となり、翌昭和45年(1970年)9月に鏡山部屋を創設しています。
参考:『相撲大事典』/山形県
柏戸の引退によって、柏鵬時代は幕を閉じました。
柏鵬時代の映像を見るには
記録だけでなく、実際の取組を映像で見たい方もいると思います。
柏戸と大鵬の取組を見られる主な方法は、次の三つです。
■柏戸と大鵬の取組を見る方法
- 日本相撲協会公式YouTube「大相撲アーカイブ場所」:2020年12月24日から、過去400場所以上の取組映像を順次公開。メンバーシップ(月額990円。2020年12月の開始時点)に入ると見られる
- 横綱柏戸記念館(山形県鶴岡市):午前9時から午後5時まで、入館無料(2026年10月時点)。展示室で日本相撲協会提供の取組映像を上映
- DVD:NHK DVD『大相撲大全集 昭和の名力士3』(NHKエンタープライズ)。初代若乃花・柏戸・大鵬の3人の横綱を収めた巻
鶴岡は柏戸の故郷で、記念館もその地に建っています。
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元力士から見た、大鵬の相撲
ここまで数字とライバル関係を見てきました。では、実際の取り口では何が強かったのでしょうか。
記録や評伝から僕が感じる大鵬の強さは、派手な技そのものより、簡単に形を崩さないところにあります。足腰の柔らかさで相手の力を受け、前さばきで自分に有利な形へ持っていく。相手に攻められても崩れず、そこから勝てる形をつくる相撲です。
「相撲に型がない」と評された意味
大鵬の取り口は堅実で、現役中には「相撲に型がない」と評されることもありました。得意の形がはっきりしている力士と比べると、見る側には特徴がつかみにくかったのかもしれません。
ところが、師匠の二所ノ関は、大鵬について「自然体の型で万能相撲である」と評しています。前さばきがうまく、左四つに組んでは掬い投げや上手投げを得意にする。
決まった一つの形だけでなく、さまざまな展開から相撲を取れる力士だったということです。
参考:『相撲大事典』
元力士の僕から見ると、「型がない」は、弱点とは限りません。一つの得意形に入れなくても勝負できる、という強さでもあります。
突進を受けて吸収する足腰
大鵬の強さを語るうえで、もう一つ挙げられるのが足腰の柔らかさです。相手の突進を受けても、上体でその衝撃を吸収してしまうようだったと言われています。
当たる側からすれば、思い切ってぶつかっても、期待したほど相手が崩れない相撲だったのでしょう。
ここからは、大鵬本人の体験ではなく、現役時代の僕自身の話です。
稽古場に、押しても手応えのない相手がいました。
思い切りぶちかましても、力が相手の肉に吸収されるというか、芯まで伝わらないのです。
押しても肉が伸びて、力が一点に集まらず、散ってしまうような感覚がありました。
当たった瞬間に返ってくるはずの手応えが、返ってきません。
相手は崩れていないのに、自分の力だけが行き先を失うのです。
こちらはさらに押そうとして力を使います。
それでも相手の形は変わらず、自分の体力ばかりが削られていきました。
この相手との稽古は、本当に疲れました。
もちろん、大鵬の相撲がその稽古相手と同じだった、という話ではありません。僕が感じていたのは相手の肉の厚さによるもので、大鵬が評価された足腰の柔らかさとは別のものです。
ただ、力を出しているのに相手が崩れないと、攻める側がどれだけ消耗するかは分かります。
大鵬へ突進していった力士にも、攻めている自分のほうが先に疲れていくような感覚があったのではないか。僕には、そう想像できます。
押しても相手の形が変わらないと、こっちは「もっと出さないと」と余計に力を使うんだよなぁ。
崩れない相手って、ただ動かないだけじゃない。攻める側に力を使わせるから、気づくと自分のほうが先に苦しくなってるんだよね。
大鵬本人は、この言葉をどう思っていたか
ここまで見ると、「巨人・大鵬・卵焼き」は大鵬の人気を表す華やかな言葉に見えます。ただし、大鵬本人は、この言葉を手放しでは喜んでいませんでした。
裸一貫から稽古を重ねて強くなった自分が、いい選手を集めて勝つ巨人と、なぜ同じように扱われるのか。大鵬には、そうした思いがあったからです。
さらに、ライバルの柏戸があまり稽古をしなくても強かったことを挙げ、自分についてこう言い切っています。
「俺は天才じゃない。努力家だ」
参考:時事ドットコム
大鵬自身は、自分の強さを生まれ持った才能だけではなく、積み重ねた稽古によってつくったものだと考えていたのでしょう。
令和版の「巨人・大鵬・卵焼き」と、大鵬の孫・王鵬
では、「巨人・大鵬・卵焼き」を令和の時代に置き換えると、何になるのでしょうか。
現在、1960年代のように広く定着した組み合わせはありません。
令和版は何か
野球では、大谷翔平の名前が候補として挙がります。難しいのは、残る二つです。
1960年代と比べると、子どもが見るテレビ番組も、好きなスポーツも、食べ物も細かく分かれています。相撲から一人、食べ物から一つを選んだとしても、それを社会全体が同じように共有することが難しい時代になりました。
だからこそ、「令和版の巨人・大鵬・卵焼き」は、一つに決めにくいのでしょう。
参考:CBC MAGAZINE
ただ、現在の相撲界には、大鵬の名前を令和へ直接つないでいる力士がいます。
大鵬の孫、王鵬関です。
大鵬の孫・王鵬
王鵬関は、祖父が大鵬、父が元関脇・貴闘力という力士です。2025年3月場所で新関脇に昇進し、祖父・父・本人と、3代続けて関脇の地位に就きました。
2026年9月場所の番付は東前頭十枚目。26歳です(2026年9月場所時点)。
王鵬関は「大鵬の孫」というより、今の幕内で相撲を取っている一人の力士として見ていました。
でも祖父の相撲を知ったあとなら、崩れにくさや組んだあとの動きまで気になりそうです。似ているところがあるのか、自分の目で見てみたいです♪
巨人・大鵬・卵焼きに関するよくある質問
最後に、言葉の意味と大鵬について、よくある疑問をまとめます。
Q1. 巨人・大鵬・卵焼きはいつの言葉ですか?
A. 1960年代の言葉です。
大鵬の横綱在位は昭和36年(1961年)11月から昭和46年(1971年)5月で、その全盛期に、子どもが好きなものの代表として巨人・大鵬・卵焼きが並べられました。
Q2. 巨人・大鵬・卵焼きの「逆」や「反対」は何ですか?
A. 1970年代の「江川・ピーマン・北の湖」です。子どもが嫌いなものの代表として、のちに巨人で活躍する江川卓、ピーマン、そして「憎らしいほど強い」と称された第55代横綱・北の湖が並べられました。
Q3. 大鵬はどれくらい強かったのですか?
A. 幕内優勝32回で、2013年当時の大相撲史上最多でした。6場所連続優勝が2回、全勝優勝が8回、連勝記録は45連勝です。2013年に亡くなった翌月には、国民栄誉賞が贈られました。
Q4. 大鵬と柏戸はどちらが強かったのですか?
A. 幕内優勝は大鵬32回、柏戸5回です。ただし、直接対決では大関時代まで柏戸が7勝3敗でリードしていました。横綱昇進後に大鵬が追い上げ、昭和39年(1964年)初場所で並び、昭和41年以降は大鵬が優勢になっています。
Q5. 令和版の巨人・大鵬・卵焼きは何ですか?
A. 現在、広く定着した組み合わせはありません。野球では大谷翔平の名前が候補に挙がりますが、1960年代と比べて価値観が細分化し、残りの二つを社会全体で共有することが難しくなっています。
相撲では、大鵬の孫である王鵬関が幕内で相撲を取っています(2026年9月場所時点)。
まとめ
「巨人・大鵬・卵焼き」は、1960年代に子どもが好きだったものを三つ並べた流行語です。当時は説明の要らなかった大鵬が、いまでは三つの中で説明の要る名前になりました。
その距離を埋めるのは、優勝32回という数字だけではありません。足腰で相手の力を受け止め、崩れないまま勝つ相撲。それを毎場所、茶の間で見ていた子どもたちがいたということです。
僕は大鵬の現役を見ていない世代です。それでも、押しても伝わらない相手に当たったときの疲れなら、体で覚えています。大鵬に向かっていった力士の消耗は、そこから少しだけ想像できます。
次に王鵬の取組を見るときは、祖父がどんな相撲を取っていたのかも思い出してみてください。名前だけだった大鵬が、少し近くなると思います。
力士の名は、時がたてば記録や言葉の中だけに残ることもある。
されど、その相撲を知れば、名前の向こうに立ち合いも稽古も見えてくる。大鵬を知ったあとに王鵬関を見るなら、「巨人・大鵬・卵焼き」の大鵬も、もう名前だけではあるまい。
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- 1952年創刊、日本相撲協会の機関誌
- 本場所前に展望号、本場所後に総決算号が刊行。場所ごとの流れを追える
- 4,000誌・15,000冊以上が読み放題。バックナンバーも対象
- 無料期間のあとは自動更新(Webからの申し込みは月額597円・税込、アプリからは月額710円・税込)。電子版は一部の記事・写真と別冊付録が非掲載

















