年寄名跡はどう受け継がれる?年寄株の値段と条件を元力士が解説
部屋にいたころ、関取が電話で年寄名跡の話をしているのを、そばで聞いたことがあります。
何を話していたのか、詳しい内容までは分かりませんでした。ただ、現役を続けることとは別に、引退したあとのことを考える時期があるのだということは伝わってきました。
引退後のことも、現役のうちから考えておかないといけないんだな。
そう思ったことを、いまでも覚えています。
こんにちは!元力士のしんざぶろうです。
相撲の親方には、「八角」「出羽海」「伊勢ヶ濱」「雷」など、それぞれ名前があります。
これらは、力士が引退するときに自由に付ける名前ではありません。日本相撲協会が管理する「年寄名跡」と呼ばれるもので、その数も決まっています。
引退した力士が親方として協会に残るには、原則として、この年寄名跡のひとつを襲名する必要があります。
年寄名跡は、世間では「年寄株」と呼ばれることもあります。
「株」と聞くと、売ったり買ったりするものを想像するかもしれません。実際、かつては年寄名跡が借金の担保になったこともありました。
しかし、現在は当時とは仕組みが変わっています。
では、年寄名跡は、いまどのように次の人へ受け継がれているのでしょうか。
この記事では、年寄名跡がどう受け継がれるのか、襲名するための条件、そして「値段」と呼ばれてきたお金の話まで、順番に解説します。
年寄名跡の数が決まっているのは知っていたけど、誰から誰へ、どういう手続きで受け継がれるのかまでは、現役のころは詳しく知らなかったなぁ。
空きがなければ、すぐに襲名できるわけでもないんだよね。
入門前、相撲界のことを少しでも知りたくて、僕はお小遣いで月刊『相撲』を買っていました。
いまはその『相撲』が楽天マガジンの読み放題に入っていて、1冊買うより安く読めます。
■月刊『相撲』を楽天マガジンで読むときのポイント
- 1952年創刊、日本相撲協会の機関誌
- 本場所前に展望号、本場所後に総決算号が刊行。場所ごとの流れを追える
- 4,000誌・15,000冊以上が読み放題。バックナンバーも対象
- 無料期間のあとは自動更新(Webからの申し込みは月額597円・税込、アプリからは月額710円・税込)。電子版は一部の記事・写真と別冊付録が非掲載
年寄名跡とは何か
年寄名跡は、日本相撲協会が管理している名前です。協会の定款に、そのまま書かれています。
■定款第47条1項
年寄名跡は、この法人が管理するものとする。
そして定款は、年寄そのものについてもこう定めています。
年寄は、年寄名跡を襲名した者とする(第48条2項)。
つまり、定款の上では、年寄名跡を襲名した人が年寄です。引退した力士が親方として協会に残るには、原則として年寄名跡をひとつ襲名することになります。
原則として、現役中にどれだけ勝っても、名跡がなければ協会員としての年寄にはなれません。土俵の上での番付と、土俵を下りたあとの立場は、別の物差しで決まるということです。
ただし、横綱と大関には例外があります。名跡を襲名しないまま、現役時代の四股名で年寄になることが認められています。
「年寄株」は俗称で、協会の言葉ではない
検索で目にするのは、年寄名跡よりも「年寄株」や「親方株」のほうかもしれません。
この言い方について、『相撲大事典』にはっきりした説明があります。
■年寄株
「年寄名跡」の俗称。「親方株」とも俗称される。「株」という表現は俗称であり、日本相撲協会の正式な用語ではない。
協会の発表文でも、使われるのは年寄名跡のほうです。襲名や継承のお知らせには、株という言葉は出てきません。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館/公益財団法人日本相撲協会「定款」
私、株という言い方が正式なものだとずっと思っていました。
会社の株みたいに持っているものを想像していたので、呼び方が違うだけで受ける印象って変わるんですね。
年寄名跡はいくつあるのか
年寄名跡の数は105です。
明治22年には88ありました。105になったのは、昭和2年に東京と大阪の協会が合併したときです。それから100年近く、この数のままです。
名跡は、必要になったからといって新しく作られるものではありません。誰かが空けた名前に、次の人が入る形で回っています。
江戸時代から続いている名跡がある
ひとつひとつの名跡に、それぞれの始まりがあります。なかには、江戸時代の記録までさかのぼれるものがあります。
たとえば「花籠」の初代は、宝暦2年(1752年)に勧進元として名が残る花籠与市です。270年以上前の名前が、いまも親方の名前として使われていることになります。
「雷」も古い名跡で、初代の雷権太夫は貞享元年(1684年)に江戸で勧進相撲が許可されたときの勧進元と伝えられています。
2026年9月23日時点で、空いているのは2つ
協会は、空いている名跡もそのまま公表しています。職務分掌のページに、「未襲名名跡 峰崎、井筒」と記されています(令和8年9月1日現在)。
「年寄一覧」のほうも数が合います。2026年9月23日時点で、この一覧に載っている親方は103人です。名跡は105なので、差は2つ。公表されている未襲名の数と一致します。
井筒については、令和8年8月7日付で年寄 井筒が退職したことが協会から発表されています。
参考:日本相撲協会「職務分掌」/同「年寄一覧」/日経ビジネス「親方になりたくてもなれない 年寄名跡不足が映す大相撲の謎と現実」(2025年11月11日)/『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館
うむ。名が増えぬということは、誰かが退かねば誰も入れぬということだ。
105という数は、多いと見るか少ないと見るか。
わしには、待つ者の数のほうが気にかかる。
そんな古い名跡のひとつである雷については、名前を継いだ親方とあわせて書いた記事があります。
年寄名跡はどう受け継がれるのか
名跡の受け渡しは、当事者どうしの話し合いだけで正式に決まるものではありません。定款が、推薦から決定までの手続きを定めています。
推薦して、審査して、理事会が決める
■定款第47条2項・3項
2 退職する年寄は、この法人に年寄名跡を襲名する者を推薦することができる。ただし、退職後5年以内を限度として推薦するものとする。
3 年寄名跡を襲名する者は、年寄資格審査委員会で審査した結果に基づき理事会で決定する。
推薦できるのは、その名跡を手放す側の親方です。ただし推薦は推薦であって、決定ではありません。審査を経て、最後に決めるのは理事会です。
しかも推薦には期限があります。退職してから5年を過ぎると、推薦はできなくなります。
空いた名跡に、次の人が入る
実際にどう動いているかは、協会の発表文をたどると分かります。令和7年に出たものを並べます。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 日付 | 動いた名跡 | 襲名した人 |
|---|---|---|
| 令和7年5月1日 | 出来山 | 年寄 錦島(元幕内 翔天狼) |
| 令和7年5月1日 | 錦島 | 年寄 大山(元小結 千代鳳) |
| 令和7年6月9日 | 宮城野 | 年寄 伊勢ヶ濱(元横綱 旭富士) |
| 令和7年6月9日 | 伊勢ヶ濱 | 年寄 照ノ富士(部屋も継承) |
| 令和7年9月29日 | 熊ヶ谷 | 年寄 大嶽(元十両 大竜) |
| 令和7年9月29日 | 大嶽 | 年寄 熊ヶ谷(元幕内 玉飛鳥、部屋も継承) |
同じ日に2つずつ動いているのが分かります。ひとりが別の名跡へ移ると、その人が名乗っていた名跡が空き、そこへ次の人が入る。こうした名跡の移動では、この形になります。
空いてから襲名までが、とても短い
もうひとつ、日付を並べると見えてくるものがあります。名跡が空いた日と、そこへ誰かが入った日の間隔です。
■空いた日から襲名までの日数
- 振分 令和6年9月22日に退職 → 9月24日に元関脇 妙義龍が襲名(2日)
- 北陣 令和7年10月26日に退職 → 11月1日に元小結 遠藤が襲名(6日)
- 大山 令和7年5月1日に空く → 5月15日に元小結 北勝富士が襲名(14日)
- 宮城野・伊勢ヶ濱 令和7年6月9日に空き、同じ日に次の人が襲名
2日、6日、14日、そして同じ日。いずれも、名跡が空いてから間を置かずに埋まっています。
原則として年寄名跡の襲名が必要だという仕組みを思い出すと、この短さの意味が見えてきます。ここに挙げた例では、名跡の動きと引退の時期が重なっています。
襲名は、土俵の上でも披露される
受け継いだ名跡は、引退相撲の場で披露されることがあります。「○○引退○○襲名披露大相撲」と名づけられるもので、協会の公式チャンネルにも映像が残っています。
上の表で令和7年6月9日に伊勢ヶ濱を継承した照ノ富士の、引退伊勢ヶ濱襲名披露大相撲です。横綱がそろって土俵入りに並ぶ場面が収められています。
参考:公益財団法人日本相撲協会「定款」/日本相撲協会「相撲部屋継承ならびに年寄名跡継承襲名のお知らせ」(令和7年6月9日)
僕が辞めるときは、体のことと部屋のことで頭がいっぱいだったなぁ。
こうして名跡が動いた日付が並ぶと、それだけじゃないんだなぁと思うよ。
この日に宮城野を継承した元横綱・旭富士については、別の記事でその後の役職まで書いています。
年寄名跡を襲名する条件
名跡に空きがあり、推薦もある。それでも、誰でも襲名できるわけではありません。力士としての成績に条件があります。
■年寄名跡の襲名継承資格(主なもの)
- 日本国籍を有する者であること
- 幕内を通算20場所以上つとめた力士
- 幕内・十枚目(関取)を通算30場所以上つとめた力士
- 三役を一場所以上つとめた力士
- 横綱・大関をつとめた力士
30場所というのは、続けて在位したとすれば5年ぶんにあたります。ただし条件は「通算」なので、5年間続けて関取を保つ必要はありません。十両と幕内を行き来しながら、場所数を積み上げる形でも届きます。
なお、部屋を継承する場合の緩和や、2013年11月に決まった特例もあるため、ここに挙げたのは主な条件です。
横綱と大関は、四股名のまま年寄になれる
横綱と大関には、別の定めがあります。引退に際して、名跡を襲名しないまま、現役時代の四股名で年寄になることが認められています。
横綱の場合、引退後5年間は現役名のまま年寄としての待遇を受けられます。そのあいだに名跡を襲名する、という形です。
大関についても、平成10年(1998年)に規定が加えられました。協会への貢献が特に大きいと認められ、3年以内に名跡を取得する確証があると理事会が承認した場合に限り、3年のあいだ引退時の四股名を年寄名にできます。
この規定が使われたのは、元大関の栃東と琴欧洲です。栃東はいまの年寄 玉ノ井、琴欧洲はいまの年寄 鳴戸にあたります。
この特例は、協会の発表文にそのまま表れています。
令和7年1月17日の発表は、こう書かれていました。
「理事会で横綱 照ノ富士(本名 杉野森正山、伊勢ヶ濱部屋)引退、年寄 照ノ富士を承認しました」
ほかの力士の発表は「年寄 ○○襲名を承認しました」という書き方です。照ノ富士は、四股名がそのまま年寄の名前になっています。
名跡を襲名したのではなく、横綱としての資格で年寄になった、ということです。その照ノ富士が伊勢ヶ濱を継承したのは、およそ5か月後の令和7年6月9日でした。
年寄名跡を襲名しない力士はどうなるのか
協会の発表文には、引退の告知に襲名が書かれていない例が並びます。令和8年に引退した力士では、大奄美、大翔鵬、紫雷、千代栄、英乃海、剣翔、大翔丸、勇磨について、いずれも引退届が受理されたことが告知されています。
そのなかで、ひとつだけ続きが書かれた発表がありました。
令和8年3月23日、元幕内 千代丸の引退の告知です。
「なお、今後は若者頭になります」
年寄名跡を襲名しない場合でも、若者頭や世話人として協会に採用される道があります。若者頭は幕下以下の指導や勝負の記録、前相撲の進行を受け持ち、世話人は競技用具の運搬や保管を担当します。
部屋のマネージャーとして残る道もあります。僕がいた部屋にも、関取を経験しないまま、辞めたあとにマネージャーになった兄弟子がいました。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館/日本相撲協会「引退および年寄承認のお知らせ」(令和7年1月17日)/同「引退のお知らせ」(令和8年3月23日)
30場所という数字を見ると、関取でい続けることの重さが分かります。
僕が知っている兄弟子たちは、その手前で土俵を下りました。
それでも相撲に関わる場所が残っていたことは、あとになって知りました。
部屋のマネージャーという仕事については、ちゃんこ長を扱った記事のほうで詳しく書いています。
年寄株の値段|かつては担保になった
「年寄株 値段」「年寄株 いくら」という調べ方をする人がいます。株と呼ばれているのだから値段があるはずだ、という感覚は自然なものです。
先に答えを書きます。いまの年寄名跡に、公式な値段はありません。定款が、襲名と推薦にからむ金銭の授受を禁じているからです。
それでも「値段」という言葉が残っているのには、理由があります。名跡が財産として扱われていた時代が、実際にありました。
古い規則には、名跡が誰のものかも書かれていなかった
日本相撲協会が公益財団法人になる前、協会の根本規則は「寄附行為」と呼ばれていました。そこで年寄について定めていたのが第35条です。
■旧・寄附行為 第35条
- この法人には、年寄をおく
- 年寄は、年寄名跡を襲名した者とする
- 年寄名跡の襲名については、理事会の議決を経て、別に定める
- 年寄は、有給とすることができる
いまの定款と読み比べると、違いがはっきりします。ここに引いた第35条には、名跡が誰のものなのかも、お金のやり取りについても書かれていません。襲名については「別に定める」で終わっています。
横綱・輪島大士は、名跡を担保にして土俵を去った
その時代に起きたのが、第54代横綱・輪島大士の廃業です。
輪島は日本大学相撲部で2年連続の学生横綱となり、昭和45年1月に幕下付出しで初土俵を踏みました。幕下を2場所、十両を4場所で通過し、昭和48年7月に新横綱。学生相撲出身者として初の横綱でした。
北の湖と覇を競った時代は「輪湖時代」と呼ばれ、左を差してからの下手投げは「黄金の左」と呼ばれました。幕内通算620勝213敗85休、優勝14回。
昭和56年3月に引退したあとは、年寄「花籠」を襲名して花籠部屋を継承します。
ところが、その4年後に土俵から離れることになります。
年寄名跡を借金の担保にしていたことが明らかになり、輪島は1985年12月に相撲協会を離れました。理由は、妹が営む店の資金繰りでした。
のちに本人はこう話しています。
「妹が困ってたんだ。店がうまくいかなくて。見て見ないふりなんてできるかよ。どんなことでも俺ができることならやってやりたいと思った。だから後悔してない」
2013年に、金銭の授受が禁じられた
名跡がお金で動くことへの問題意識は、協会が公益財団法人へ移るときの議論になりました。
2013年1月31日、両国国技館で開かれた理事会と評議員会で、新しい規定案が承認されます。名跡の取得にからむ金銭授受の禁止、違反した場合の角界追放、所有者から名跡を借りる「借株」の廃止が盛り込まれました。
こうして定款に入ったのが、次の2項です。
■定款第47条4項・5項
何人も、年寄名跡の襲名及び年寄名跡を襲名する者の推薦に関して金銭等の授受をしてはならない。
前項の定めに違反した者は厳重な処分をすることとし、これを含めて年寄名跡に関する規程は理事会が別に定める。
「何人も」と書かれているので、名跡を手放す側も受け取る側も対象です。襲名そのものだけでなく、推薦に関するやり取りも含まれます。
先代の親方への支払いは、どう扱われるのか
この点については、年寄名跡規程に定めがあります。
年寄名跡規程の第13条が、名跡のやり取りでの金銭の授受を禁じています。その一方、第14条には、前の親方と新しい親方のあいだの取引を自己申告する仕組みがあります。
では、申告さえすれば取引は自由なのでしょうか。2024年5月10日の衆議院内閣委員会で、内閣府はこう答えています。
「いかなる名目であっても、また直接、間接かを問わず、年寄名跡の襲名及びその推薦に関し金銭等の授受があれば、定款への違反が問題になる」
「自己申告すれば問題ないということにはならないものと考えております」
申告された内容は協会の危機管理委員会が検討し、年寄名跡の襲名に係る金銭等の授受が確認された場合は、懲戒解雇とされています。
なお、輪島が手放した花籠という名跡は、いまも生きています。2026年9月23日時点で名乗っているのは、元関脇・太寿山です。
宝暦2年に初代の名が残り、昭和56年に輪島が継ぎ、昭和60年に手放され、いまは別の親方が名乗っている。名前だけが残り、人が入れ替わっていく。年寄名跡という仕組みが、ひとつの名前に表れています。
参考:日本経済新聞「金銭での取得禁止など年寄名跡の新規定 相撲協会」(2013年1月31日)/同「元横綱・輪島さん死去、70歳 優勝14回で『輪湖時代』」(2018年10月9日)/東スポWEB「輪島さんが真顔で語った廃業の真相『後悔してない』」(2018年10月11日)/『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館
うむ。名が財産になれば、やがて名のほうが人を縛る。
輪島が手放した花籠を、いまは別の者が名乗っておる。
残るのは名であって、値ではない。
ちなみに、名跡を継いだ親方にどれだけの給与が出るのかは、別の記事で書いています。
一代年寄とは何か
105の名跡とは別に、「一代年寄」という言葉があります。『年寄名跡目録』に載っている105の名跡のほかに、その個人一代限りで年寄として待遇されるものです。
ふつうの名跡と決定的に違う点があります。一代年寄は、その名を次の人へ継承できません。
一代年寄には、昔の制度と、大鵬以降の特例がある
ひとつは、戦前から戦後にかけて置かれていた「横綱一代年寄制」です。昭和16年(1941年)の一月場所前に定められました。
■横綱一代年寄制
横綱は引退後、現役名のまま、年寄名跡がなくても一代限りにおいて年寄として優遇する。
ところが、この制度は長く続きませんでした。制定された年の五月場所中には早くも改正され、昭和17年5月場所後にいったん廃止されます。昭和32年3月に復活したものの、昭和34年8月の理事会で再び廃止されました。
もうひとつが、大鵬以降のものです。制度が廃止されたあとに、格段の活躍と功績のあった横綱へ、協会が特例として一代年寄を贈ってきました。大鵬以降の一代年寄は、条文として定められた制度ではなく、理事会の決定によるものです。
贈られたのは3人、辞退した横綱が1人
■一代年寄が贈られた横綱
- 昭和44年8月 第48代横綱・大鵬
- 昭和60年1月 第55代横綱・北の湖
- 平成15年1月 第65代横綱・貴乃花
大鵬は当時優勝30回(最終成績は32回)、北の湖は24回を積み上げたあとの贈呈でした。
平成元年(1989年)9月には、当時29回優勝していた第58代横綱・千代の富士にも理事会で提案されています。ただし千代の富士はこれを辞退し、年寄「九重」を継承しました。
2021年の有識者会議は、認める根拠を見いだせないとした
2021年4月19日、「大相撲の継承発展を考える有識者会議」が協会の理事長へ提言書を提出しました。そこでは、一代年寄の名乗りを認める根拠は見いだせないと結論づけられています。
105の名跡が受け継がれることで守られてきたのに対し、一代年寄はその人の代で終わります。継承できないという性質が、ふつうの名跡とは別のものにしています。
そして2026年9月23日時点で、一代年寄を名乗っている親方はいません。大鵬は2013年に、北の湖は2015年に亡くなり、貴乃花は2018年に協会を退職しています。
なお、優勝45回の白鵬も一代年寄ではありません。2021年9月30日に、年寄「間垣」を襲名しています。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館/日本経済新聞「『一代年寄は根拠なし』 大相撲有識者会議が報告書」(2021年4月19日)/同「白鵬引退で年寄『間垣』襲名 誓約書サイン、異例の承認」(2021年9月30日)
大鵬さん、北の湖さん、貴乃花さん。
名前は知っていても、いまは誰も名乗っていないというのは知りませんでした。
制度があっても、使われなくなることがあるんですね。
年寄名跡に関するよくある質問
Q1. 年寄名跡と年寄株は何が違うのですか?
A. 指しているものは同じです。年寄名跡が正式な言い方で、年寄株や親方株は俗称にあたります。『相撲大事典』も、株という表現は日本相撲協会の正式な用語ではないとしています。
Q2. 年寄名跡はいくつありますか?
A. 105です。明治22年には88でしたが、昭和2年に東京と大阪の協会が合併して105になりました。協会は令和8年9月1日現在として「未襲名名跡 峰崎、井筒」と公表しており、空いているのは2つです。
Q3. 年寄名跡を襲名するには、どんな条件が必要ですか?
A. 日本国籍を有することに加えて、幕内を通算20場所以上、幕内・十枚目を通算30場所以上、三役を一場所以上といった成績が求められます。横綱・大関をつとめた力士も対象です。部屋を継承する場合の緩和や特例もあります。
Q4. 年寄株はいくらで買えるのですか?
A. 公式な値段はありません。定款第47条4項が、襲名と推薦にからむ金銭の授受を禁じています。かつては借金の担保になった例もありましたが、2013年1月31日に金銭授受を禁じる規定が承認されました。年寄名跡規程には前の親方との取引を自己申告する仕組みもありますが、名目を問わず襲名や推薦の対価であれば、定款違反が問題になります。
Q5. 一代年寄とは何ですか?いまも名乗っている親方はいますか?
A. 105の名跡とは別に、その個人一代限りで年寄として待遇されるものです。ふつうの名跡と違い、次の人へ継承できません。大鵬、北の湖、貴乃花の3人に贈られましたが、2026年9月23日時点で名乗っている親方はいません。
Q6. 外国出身の力士でも親方になれますか?
A. 襲名継承の資格に日本国籍が含まれているため、日本国籍を取得していることが前提になります。令和7年6月9日に伊勢ヶ濱を継承した照ノ富士のように、国籍を取得して親方になった例があります。
まとめ
年寄名跡は、日本相撲協会が管理している名前です。数は105で決まっていて、新しく作られることはありません。仕組みそのものは江戸時代にさかのぼり、いまは105の名跡が、親方から次の親方へ受け継がれています。
受け渡しの手順も定款が定めています。退職する親方が推薦し、審査を経て理事会が決める。襲名には力士としての成績も求められるため、土俵を下りた人がそのまま親方になれるわけではありません。
かつて名跡は、借金の担保にできるほどの財産として扱われていました。輪島大士が花籠を手放したのは1985年12月のことです。2013年に金銭の授受が禁じられ、いまは推薦と審査の手続きの中に置かれています。
土俵下に並ぶ親方の名前は、その人が背負った名前であると同時に、何代も前から続いてきた名前でもあります。次に番付表や取組を見るときは、名前のほうにも目を向けてみてください。
うむ。親方の名は、その者一代のものではない。
前から受け取り、次へ渡すためにある。
土俵下に座る者の名を、いちど声に出して読んでみるとよい。



















