二子山部屋の三田大生とは?相撲の経歴・怪我・現在を元力士が解説
僕の現役時代、学生相撲を経験してから入門してきた人が二人いました。僕より後から入ってきた新弟子なのに、二人とも最初から強く、あっという間に番付を抜かれていきました。
相撲は番付がものを言う世界なので、後輩とはいえ一目置く気持ちはありました。ただ、正直、面白くない気持ちも、どこかにあった気がします。
こんにちは、元力士のしんざぶろうです。
今回取り上げる三田大生も、学生相撲の実績を引っさげて入門し、あっという間に番付を駆け上がった力士のひとりです。ところが、その勢いのまま順調だったわけではありません。大きな怪我を挟んで番付を落とし、そこから戻ってきています。
この記事では、三田大生の経歴、右膝の怪我から三段目まで落ちた番付の推移、家族やざんばら髪の理由まで解説します。
三田って、たしか十両にいたはずですよね?
最近、取組であまり名前を見かけなくて。
いまどこにいるのか、気になっていたんですよね!
三田大生のプロフィールと基本情報
三田大生(みた たいき)は、栃木県大田原市の出身で、二子山部屋に所属する力士です。師匠は元大関・雅山の二子山親方で、四股名には本名をそのまま使っています。
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| 項目 | 内容 |
|---|---|
| しこ名 | 三田 大生(みた たいき) |
| 本名 | 三田 大生(しこ名は本名のまま) |
| 生年月日 | 2001年12月13日(24歳) |
| 出身地 | 栃木県大田原市 |
| 身長・体重 | 173.0センチ・115.0キロ |
| 所属部屋 | 二子山部屋(師匠は元大関・雅山の二子山親方) |
| 得意技 | 押し |
| 初土俵 | 2024年9月場所(幕下最下位格付出) |
| 新十両 | 2025年5月場所 |
| 最高位 | 十両三枚目 |
| 現在の番付 | 西幕下十五枚目 |
| 生涯戦歴 | 62勝26敗28休(13場所) |
〇年齢・体格・番付・戦歴は2026年9月場所時点。体重は協会の登録値です
白星で多い決まり手は押し出しと叩き込み
得意技は押しです。入門会見でも、速攻を心がけていると話しています。
過去6場所の集計は33取組21勝で、その白星の内訳が次のようになっています。
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| 決まり手 | 割合 |
|---|---|
| 押し出し | 29% |
| 叩き込み | 29% |
| 突き落とし | 14% |
| その他 | 28% |
白星の決まり手では、押し出しと叩き込みがどちらも29%です。前に出て勝つ相撲と、叩いて勝つ相撲が、同じだけあるということです。
173センチ115キロなら、幕内では小さいほうに入りますよ。
その体で押し出しと叩き込みが同じ割合って、なんだか器用ですね。
三田大生が相撲を始めたきっかけと経歴
三田が相撲を始めたのは5歳のときです。父が指導する地元の相撲道場に通い、そこから競技の道に入りました。
市野沢小から黒羽高まで
小学校は大田原市の市野沢小で、ここで関東大会を制しています。中学校は同じ大田原市の若草中に進みました。
高校は栃木県立黒羽高校です。1年生で全国高校選抜の個人80キロ級を制し、2年生では世界ジュニア選手権の軽量級で3位に入りました。
そして3年生のとき、世界ジュニア選手権の中量級で優勝しています。
なお三田は、この世界ジュニア選手権で、のちに幕内へ上がる安青錦関と対戦しています。
参考:下野新聞(2024年3月6日)/BAILA(2025年9月17日)
近畿大学の主将として団体日本一へ
高校卒業後は近畿大学の経営学部に進み、相撲部に入りました。
大学では西日本学生選手権の個人優勝、西日本学生個人体重別選手権の無差別級優勝などを重ねています。天皇杯全日本相撲選手権ではベスト16、国民体育大会の成年男子個人では5位(ベスト8)に入りました。
そして4年生のとき、主将として全国学生選手権の団体優勝を果たします。近大にとって13年ぶりの団体日本一でした。
2024年3月5日、近畿大学東大阪キャンパスで入門会見が開かれ、二子山部屋への入門が発表されました。会見で三田はこう話しています。
「大相撲の世界に入っても、礼節や柔軟性、規律性をしっかり守り、一人前の力士、手本になるような人になれるよう頑張ります」
地元紙の取材には、こうも語っています。
「栃木出身の力士の中で自分が一番上に立てるように」
参考:近畿大学「体育会相撲部 三田大生が二子山部屋に、山崎勝磨が立浪部屋に入門!」/下野新聞(2024年3月6日)
5歳で土俵に上がり、高校で世界ジュニアの中量級を制し、大学で団体日本一。
角界に入る前に、すでにひととおり獲っておるな。
大学最後の大会で左膝を負傷し、初土俵は2024年9月
ところが、大学最後の大会となったその全日本選手権の取組で、三田は左膝の前十字靱帯を断裂し、半月板も損傷しました。
手術を受けたあとは、母校の近畿大学相撲部の寮に残ってリハビリに専念しています。角界入りが決まってからも、しばらく土俵には上がれませんでした。
新弟子検査に合格したのは2024年9月8日、秋場所の初日です。大学を卒業してから、半年が過ぎていました。
参考:内外タイムス(2025年12月31日)/日本経済新聞(2024年9月8日)
大学最後の大会で靱帯をやってしまったんですか。
土俵に立てないまま入門を待つ半年は、長かったと思いますよ。
付け出しは、決められた大会で所定の成績を収めた選手が、通常より上の番付から初土俵を踏める制度です。三田は前年の国体成年個人ベスト8が認められ、幕下最下位格付出で土俵に上がりました。その仕組みについては、こちらの記事で解説しています。
三田大生の番付と成績【2026年秋場所版】
入門したあとの三田は、番付を一気に駆け上がり、そのあと大きく落としています。
2026年9月場所の番付は西幕下十五枚目です。初土俵から2026年7月場所までの番付と成績を並べます。
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| 場所 | 番付 | 成績 |
|---|---|---|
| 2024年9月 | 幕下最下位格付出(初土俵) | 6勝1敗 |
| 2024年11月 | 東幕下28枚目 | 5勝2敗 |
| 2025年1月 | 東幕下17枚目 | 6勝1敗 |
| 2025年3月 | 西幕下4枚目 | 5勝2敗 |
| 2025年5月 | 東十両14枚目(新十両) | 8勝5敗2休 |
| 2025年7月 | 西十両11枚目 | 11勝4敗(十両優勝) |
| 2025年9月 | 西十両4枚目 | 9勝6敗 |
| 2025年11月 | 東十両3枚目 | 0勝3敗12休 |
| 2026年1月 | 東幕下筆頭 | 全休 |
| 2026年3月 | 西幕下41枚目 | 全休 |
| 2026年5月 | 西三段目21枚目 | 6勝1敗 |
| 2026年7月 | 東幕下41枚目 | 6勝1敗 |
最高位は2025年11月場所の東十両三枚目です。初土俵から数えて8場所目に、そこへ届いています。
大きな節目になったのが、2025年7月場所です。西十両十一枚目で11勝4敗を挙げ、千秋楽に十両優勝が決まっています。表彰式の様子は、日本相撲協会が公式Xに投稿しました。
<千秋楽の様子>
各段優勝表彰式
十両優勝
三田 11勝4敗 二子山部屋#sumo #相撲 #七月場所 #名古屋場所 pic.twitter.com/YW5Zz31yxv— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) July 27, 2025
十両優勝を手繰り寄せた一番
三田がどんな相撲を取るのかは、この2025年7月場所の映像で見られます。
14日目、ともに10勝3敗で並んだ西十両十一枚目の三田と、十両六枚目の大青山の直接対決です。173センチの三田が、どの高さから当たっていくのかに注目してみてください。
三田はこの一番を制して11勝3敗とし、この白星が十両優勝につながりました。
新十両からいきなり勝ち越して、次の場所で優勝ですか。
順調すぎて、逆に少し怖いくらいです。
怪我と休場、そして復活まで
三田は角界入りの前から、大きな怪我を経験しています。2023年12月の左膝、2025年5月の左手、そして2025年11月の右膝です。
番付が三段目まで落ちる直接の原因になったのは、3つ目の右膝でした。
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| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2025年5月場所 | 左手を骨折し、途中休場 |
| 2025年11月場所 | 右膝の靱帯を損傷し、途中休場 |
| 2026年1月・3月場所 | 2場所を全休。番付は三段目まで下降 |
| 2026年5月場所 | 出場を直訴して復帰 |
| 2026年7月場所 | 6勝1敗で幕下優勝を争う7人に残る |
最初の分かれ目は、新十両で迎えた2025年5月場所でした。
2025年5月場所、左手の骨折
新十両で迎えた2025年5月場所、三田は12日目に勝ち越しを決めました。ところがその一番で左手を痛めています。
診断は左第4中手骨骨折で、13日目から休場しました。12日目を終えて8勝4敗という成績でした。
2025年11月場所、右膝前十字靱帯損傷で約3か月の休業
自己最高位の東十両三枚目で迎えた2025年11月場所が、大きな分かれ目になりました。
三田は2日目の輝戦で右膝を痛め、土俵から担架で運ばれています。翌3日目、右膝前十字靱帯損傷と診断され、約3か月の休業を要するとして休場しました。
師匠の二子山親方は、このとき手術が必要になるとの見通しを示しています。
「手術をしないといけない」
三田はその後、実際に右膝の手術を受けています。この場所の成績は0勝3敗12休でした。
参考:中日スポーツ(2025年11月11日)/内外タイムス(2025年12月31日)
2場所全休、三段目まで下がった番付
三田は2026年1月場所と3月場所を全休しました。九州場所の途中休場から数えると、3場所続けて土俵から離れたことになります。
番付は東幕下筆頭、西幕下41枚目と下がり続け、2026年5月場所には西三段目21枚目まで落ちています。
2026年5月場所、出場を直訴して復帰
土俵に戻ったのは2026年5月の夏場所でした。三田は師匠に出場を直訴し、番付発表のあとから相撲を取る稽古を再開しています。
復帰した2日目は大凜山を下し、続く3日目も陽孔丸をはたき込んで復帰戦から2連勝を飾りました。体の感覚について、三田はこう話しています。
「ほぼ戻っている。稽古をしっかりできている」
「お世話になっている方からたくさん『おめでとう』といただいた。期待に応えられるように次からも頑張りたい」
この場所は6勝1敗で終えました。
参考:日刊スポーツ(2026年5月12日)/日本相撲協会「三田 大生」
2026年7月場所、7人が並んだ幕下優勝争い
三田は13日目、西幕下49枚目の島津海を上手出し投げで下し、6勝1敗を決めました。右膝の大怪我からの復帰2場所目で、こう振り返っています。
「この番付で6番勝てたことは収穫。また来場所は番付が上がるので、もっと厳しい稽古をしていきたい」
この時点で、同じ二子山部屋の生田目はまだ全勝で単独トップに立っていました。三田はまだ優勝の可能性を残していましたが、後輩の生田目についてこう話しています。
「明日勝って決めてくれると思う」
ところが14日目、生田目は十両の錦木に敗れ、6勝1敗に後退します。三田が期待をかけた後輩が星を落としたことで、千秋楽は同じ6勝1敗の7人が並ぶ大混戦になりました。番付は西幕下3枚目から西幕下56枚目までと、大きく開いています。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 力士 | 所属部屋 | 番付 |
|---|---|---|
| 旭富士 | 伊勢ヶ濱 | 東幕下11枚目 |
| 竜鳳 | 音羽山 | 東幕下17枚目 |
| 不動豊 | 時津風 | 東幕下30枚目 |
| 生田目 | 二子山 | 西幕下3枚目 |
| 若雅 | 二子山 | 西幕下36枚目 |
| 三田 | 二子山 | 東幕下41枚目 |
| 花の海 | 二所ノ関 | 西幕下56枚目 |
7人のうち3人は、二子山部屋の力士です。
千秋楽の決定トーナメントを制したのは、東幕下11枚目の旭富士でした。序ノ口から4場所続けて各段で優勝したのは、昭和以降では羽黒山(のちの横綱)以来のことです。
三田の幕下優勝は、次の機会に持ち越されています。
参考:スポーツ報知(2026年7月24日)/時事通信(2026年7月26日)/日本相撲協会「過去の成績・各段の優勝力士・三賞力士」
同じ二子山部屋の生田目も、左膝の靱帯を痛めて十両から三段目まで落ち、そこから関取に戻っています。その経緯は、こちらの記事にまとめてあります。
三田大生の彼女・結婚と人柄
ここからは、土俵を離れた話です。
三田の交際相手や結婚については、2026年8月時点で公表を確認できていません。
三田大生が大切にする「謙虚さ」
分かっているのは、本人が土俵の外でどんな人物として語られているかのほうです。
黒羽高校の同窓会と相撲部後援会、OB会は、2025年9月に三田へ化粧まわしを贈りました。スクールカラーのえんじ色の布地に、校名と校章をあしらったものです。
授与式で三田は、大事にしていることを聞かれてこう答えています。
「謙虚さ。うまくいっても『おかげさまです』の精神で、毎日感謝しながら生活すること」
謙虚さを大事にしてるって、素敵な考え方ですね。
強くなっても偉ぶらない人、応援したくなります♪
三田大生の家族と父親について
三田が5歳で相撲を始められたのは、家庭のそばに土俵があったからです。
父が指導する道場で相撲を覚えた
三田の父は、地元の大田原市で小学生向けの相撲道場を指導しています。三田はそこへ通い、5歳で相撲を始めました。
きっかけをつくったのは兄です。先に相撲をしていた兄について、三田はこう話しています。
「小学校の時、その兄を見ながらかっこいいなって思いました」
参考:BAILA(2025年9月17日)/下野新聞(2024年3月6日)
栃木の相撲とのつながり
三田が通った市野沢小、進学した若草中、黒羽高校は、いずれも栃木県内です。母校の同窓会が化粧まわしを贈ったのも、その延長線上にあります。
同じ二子山部屋の生田目とは、大田原市で小学生のころからの幼なじみです。二人はいま、同じ部屋で稽古をしています。
お父さんの道場から始まって、お兄さんがきっかけをくれて、いまは同じ町の幼なじみと同じ部屋にいるんですね。
栃木のご縁がこんなに重なっているなんて、知らなかったです♪
ざんばら髪だったのはなぜ?
三田を語るときによく出てくるのが、髷を結っていない姿です。
髷を結えるほど髪が伸びる前に、関取になった
力士の髷は、髪をある程度の長さまで伸ばさないと結えません。ところが三田は、初土俵から1年たたないうちに十両へ上がってしまいました。
そのため2025年の夏から秋にかけて、三田は髷を結わないまま関取の土俵に上がっていたのです。髪をまとめずに下ろした、いわゆるざんばら髪です。
関取の土俵入りでは、大銀杏を結った力士が並ぶのが通例となっています。そこにざんばら髪が一人混ざる光景は、長い力士人生のなかでも限られた時期にしか見られません。
2025年9月28日、初めて髷を結った
三田が初めて髷を結ったのは、2025年9月28日、秋場所の千秋楽です。取組を終えたあとの千秋楽パーティーで、後援者に初めて披露しました。本人はこう説明しています。
「(秋場所の)千秋楽パーティーで初めて、まげを結いました」
土俵で髷姿を見せたのは、その翌週です。10月4日の湊川親方の引退相撲、5日の妙義龍の引退相撲と、2日続けて髷を結って土俵に上がりました。
「お相撲さんらしくなりました。(頭部に)違和感はありません。たくさんお祝いしてもらいました」
「引き締まりますね」
ざんばら髪だったのは、初土俵から1年あまりの限られた期間でした。三田はこの間、7場所すべてで勝ち越しています。
参考:日刊スポーツ(2025年10月5日)/デイリースポーツ(2025年10月5日)
髪が追いつかぬほど早く上がった、ということであろう。
あれを見られた者は、なかなか運がよいぞ。
力士の髷の種類や結い方については、こちらの記事で解説しています。
三田大生の見どころと秋場所の展望
三田は右膝の怪我で2場所を全休し、およそ半年にわたって本場所の土俵から離れました。そこから戻ってきた相撲が秋場所でどこまで通用するかが、この場所の焦点になります。
番付は西幕下十五枚目です。ここで勝ち越しを重ねれば、関取に手が届く幕下上位が見えてきます。
数字に表れている二面性
三田の白星を決まり手で見ると、押し出しと叩き込みがどちらも29%で並んでいます。前へ出る形と、叩いて相手を崩す形の両方で白星を挙げているということです。
公式の得意技は押しですが、白星の内訳はそれだけでは説明できない形になっています。
なお、この6場所には怪我をする前の十両時代も含まれています。膝を痛めたあとだけを切り出した数字ではありません。
右膝の状態について、三田は復帰した2026年5月場所の時点で「ほぼ戻っている」と話していました。その後の最新の状態は、公表資料では確認できていません。
2026年秋場所の日程やチケットは、こちらの記事にまとめてあります。
元力士から見た三田大生
三田の経歴をたどっていくと、実力だけでは測れない場面がいくつも出てきます。ここからは三田の話を離れて、現役のころの僕が見てきたことをまとめます。
学生相撲出身者を、部屋はどう受け止めるか
三田のように、僕より後から入ってきたのに学生相撲の実績を引っさげて入門する力士を、僕も部屋で二人見たことがあります。
二人とも最初から強く、あっという間に番付を抜かれていきました。
後輩とはいえ一目置く気持ちはありましたが、兄弟子たちの接し方も、明らかに僕たちと違い、頼み事などの雑用はこちらにばかり振ってきました。正直、面白くない気持ちも、どこかにあった気がします。
その分かれ目になったのは、謙虚さでした。謙虚だったほうは、番付を抜かれた側も気兼ねなく接することができたんです。番付は下でも兄弟子、という関係のまま、お互いを立てられていました。
実力だけでは、慕われる兄弟子にはなれぬということじゃな。
謙虚さもまた、修行のうちよ。
番付を大きく落とした力士を、部屋はどう見るか
ここからも三田の話ではなく、番付を落とした兄弟子を部屋の中から見ていた、現役のころの僕の話です。
僕の部屋でいちばん年長だった兄弟子が、膝の手術で幕下から番付外まで落ちたことがあります。
退院してきた当初、番付の上ではその人が部屋でいちばん下でした。とはいえ、実力も年季も向こうが上です。番付どおりの扱いをするわけにはいきません。
というのも、番付が近くなると、稽古でも生活でも接点が一気に増えるからです。もしその人が傲慢だったら、こちらを小間使いのように扱うこともできたはずで、同じ空間にいるだけで肩身が狭かったと思います。
幸い、その兄弟子はとても謙虚な方でした。番付に合った立ち居振る舞いをしてくれて、こちらにもフレンドリーに、楽しく接してくれました。
正直なところ、安心しました。
番付が下がると、扱いも一緒に下がるわけじゃないんですよね。
そこをどう振る舞うかは、本人に委ねられている部分が大きいです。
膝を手術した力士は、相撲がどう変わるか
三田の膝がいまどういう状態なのかを、僕が知る術はありません。ここからは、膝を手術した力士を部屋のなかで見ていた、現役のころの僕の話です。
僕と同じ部屋で膝を手術した人が、二人いました。
■踏ん張りと出足の変化
二人とも、まず踏ん張りが効かなくなりました。そのぶん出足のスピードも落ちています。そのため稽古場でも、自分から当たっていくより、相手の当たりを受けて動きに合わせる形が増えていきました。相手に体を預けたり、まわしを引いて四つになったり、抱え込んだりする形です。
■体格によって分かれる対応
僕が見ていた範囲では、こうした取り口は身長が大きければ応用が効き、体が小さいと難しいと思います。というのも、体が小さいと、頭を付けてまわしを引き、下から相手の動きに合わせてじわじわ攻める形になりやすいからです。僕には、下から形を作るのと上から作るのとでは、体力の使い方も、膝にかかる負担も違って見えました。
■前に出るための投げ技
前に出るのも、流れのなかで押していく形が増えました。そしてその流れを作るために、投げ技が多くなります。投げた勢いをそのまま利用して、前へ押していくんです。膝の回復具合にもよるとは思いますが、がむしゃらに突き押していくのは難しい気がします。二人とも、怪我の前とは取り口が変わっていきました。
三田は173センチです。僕が見た二人と体の条件は違いますし、同じ変化が起きると決まっているわけでもありません。それでも、秋場所の三田が立合いからどう攻めるのか、そこは僕も見てみたいところです。
前に出るための投げ技、という考え方があるんですね。
投げは投げで終わるものだと思っていました♪
三田大生に関するよくある質問
読み方や現在の番付など、三田についての質問に答えます。
Q1. 三田の読み方・本名・年齢・出身地・体格は?
A. 三田は「みた」と読みます。本名は三田 大生(みた たいき)で、しこ名は本名のままです。2001年12月13日生まれの24歳、栃木県大田原市の出身です(2026年8月時点)。体格は173.0センチ、115.0キロです(2026年9月場所時点)。
Q2. 三田はいまどこにいる?取組に出ていないのはなぜ?
A. 2026年9月場所の三田は西幕下十五枚目です。休場ではなく、番付が幕下に下がっているためで、テレビ中継は幕内と十両が中心になります。また幕下以下の力士は15日間で原則7番なので、毎日は取組が組まれません。幕下の取組結果は、日本相撲協会公式サイトの取組結果ページに場所中は毎日掲載されます。
Q3. 三田はどんな怪我をして、いつ休場したの?
A. 主な怪我は3度あります。
- 2023年12月:大学最後の全日本選手権で左膝の前十字靱帯を断裂し、半月板も損傷。手術を受ける
- 2025年5月場所:13日目から左第4中手骨骨折で休場
- 2025年11月場所:2日目に右膝前十字靱帯を損傷し、約3か月の休業。続く2026年1月・3月場所を全休
Q4. 三田の出身大学は?
A. 近畿大学の経営学部です。相撲部に所属し、4年生のときに主将として全国学生選手権の団体優勝に導きました。近大にとって13年ぶりの団体日本一でした。
Q5. 三田は結婚している?
A. 2026年8月時点で、結婚や交際についての公表は確認できていません。
まとめ
三田大生は、栃木県大田原市から二子山部屋へ入り、初土俵から1年たたないうちに十両優勝までたどり着いた力士です。髷を結えるほど髪が伸びる前に関取になったため、ざんばら髪で土俵に上がっていた時期もありました。
しかし、三田の土俵人生は、その速さだけで語れるものではありません。大学最後の大会で左膝を痛めて初土俵が遅れ、関取になってからは左手を骨折し、続いて右膝の前十字靱帯を損傷して、十両三枚目から三段目まで番付を落としています。
それでも三田は戻ってきました。復帰した2026年5月場所と続く7月場所をどちらも6勝1敗で終え、幕下優勝を争う7人のなかに名を連ねています。
2026年9月場所の番付は西幕下十五枚目です。ここから関取の座までどう戻っていくのか、幕下の取組にも目を向けてみてください。
上がるときの速さより、落ちたあとの戻り方に人柄が出るものよ。
この男は、三段目から二場所続けて六勝一敗じゃ。
秋場所の土俵、しかと見届けようではないか。


















