大露羅とは?史上最重量292.6キロの巨漢力士|本名・経歴から引退後の現在まで
僕の現役時代にも、大型力士との対戦は何度もありました。
その中でも、いちばん忘れられないのが大露羅です。
体重292.6キロ。数字で聞いてもピンと来ないかもしれませんが、実際に土俵で向かい合うと、もう本当に壁でした。
立ち合いのときは、正直かなり怖かったですね。
当時の僕は86キロ。3倍以上ある相手に、頭から当たっていくわけです。
土俵を下りて最初に思ったのは、「ケガしなくてよかった……」ということでした。
こんにちは、元力士のしんざぶろうです。
相撲を見ていると、「あの人はいったい何キロあるんだろう」と気になる力士がいますよね。
その頂点にいるのが、大露羅です。
日本相撲協会の公式プロフィールに残る体重は292.6キロ。300キロの大台まで、あと7.4キロという数字です。
ただ、大露羅について調べようとすると、体重の数字ばかりが出てきて、どんな力士だったのかはあまり伝わってこないのではないでしょうか。
この記事では、大露羅のプロフィールと本名、292.6キロがどれくらい規格外なのか、ロシア出身第1号としての歩みと北の湖親方との関係、そして引退後の現在まで、実際に土俵で向かい合った元力士の視点も交えて解説します。
292.6キロって、もう想像が追いつきません……!
私、テレビで見る力士のみなさんでも十分大きいと思っていました。
その倍近くある人が、本当に土俵に上がっていたんですね。
大露羅とは?プロフィールと本名
まずは、大露羅がどんな力士だったのかを整理します。
大露羅の基本情報
日本相撲協会の公式プロフィールに記載されている内容は、次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 大露羅 敏(おおろら さとし) |
| 本名 | ミハハノフ・アナトーリ・ワレリリェチェ |
| 生年月日 | 昭和58年4月26日 |
| 出身地 | ロシア・ブリヤート |
| 身長 | 191.0センチ |
| 体重 | 292.6キロ |
| 所属部屋 | 山響(初土俵時は北の湖) |
| 初土俵 | 平成12年3月場所 |
| 最高位 | 幕下43枚目 |
| 得意技 | 左四つ・寄り |
| 引退 | 平成30年9月場所 |
身長191センチは、力士としては上背のあるほうです。そこに292.6キロが乗っているわけですから、横幅の印象は数字以上でした。
得意技が「左四つ・寄り」となっているのも、実は大事なところです。組んで前に出る相撲を持ち味としていた、ということが分かります。
本名と「大露羅」という四股名
大露羅の本名は、ミハハノフ・アナトーリ・ワレリリェチェといいます。
出身はロシア連邦のブリヤート共和国。バイカル湖の東側に広がる、モンゴルと国境を接する地域です。
四股名は「大露羅」と書いて「おおろら」と読みます。
この四股名は、オーロラをイメージして名付けられたものです。命名したのは、北の湖前理事長と親交のあったコメディアンのポール牧さんでした。
そして下の名前の「敏(さとし)」は、北の湖の本名「敏満」から一字を取ったものです。
この由来は、本人も語っています。2025年12月にロシアの地元紙が本人に取材した際、大露羅はオーロラが北極光を意味すること、そして「敏」を構成する字が亡き師匠の名前に由来することを説明しました。
参考:スポーツ報知「大相撲史上最重量の元大露羅が100キロのダイエットに成功…292・6→190キロに」(2020年4月17日)/アギンスカヤ・プラウダ紙 本人インタビュー(2025年12月5日)
四股名の上にはオーロラが、下には師匠の名前が入っているわけです。検索で「大露羅 敏」と出てくるのは、このフルネームにあたります。
オーロラから取った四股名だったんですね……!
しかも下のお名前は、師匠の北の湖親方から一字もらったものなんですか。
四股名だけで、その力士の背景が見えてくるんですね。
292.6キロはどれくらい規格外なのか
292.6キロという数字は、あまりに大きすぎて実感がわきにくいと思います。
そこで、同じく巨漢として知られる力士と並べてみます。
小錦・山本山と比べてみる
日本相撲協会の公式プロフィールに載っている体重で比較すると、次のようになります。
| 四股名 | 体重 | 身長 | 最高位 |
|---|---|---|---|
| 大露羅 | 292.6キロ | 191.0センチ | 幕下43枚目 |
| 小錦 | 275.0キロ | 184.0センチ | 大関 |
| 山本山 | 266.0キロ | 189.0センチ | 前頭9枚目 |
参考:日本相撲協会「小錦 八十吉 力士プロフィール」/同「山本山 龍太 力士プロフィール」
「あの小錦より17.6キロ重い」と言えば、規格外ぶりが伝わるでしょうか。
この比較表は、条件をそろえるためすべて日本相撲協会が公表している公式プロフィールの数値に統一しています。
力士の体重は計測した日によって変わるため、報道では公式プロフィールとは別の時点で計測された数値が紹介されることもあります。基準をそろえないと、比較そのものが意味を持たなくなってしまうためです。
292.6キロが計測された日
大露羅の292.6キロは、2018年8月27日、両国国技館でおこなわれた現役力士の定期健康診断で計測された数値です。
大相撲史上初の290キロ超えでした。
その前年、2017年8月の健康診断では288.8キロを計測しています。このときすでに、元大関・小錦の285キロを更新する歴代最重量の記録でした。
ここで数字が2つ出てくるので、補足しておきます。上の表に載せた小錦の275.0キロは公式プロフィールの掲載値で、この285キロは現役中に計測された数値です。同じ力士でも、いつの時点の体重かによって数字は変わります。
参考:デイリースポーツ「大露羅、出た~!292.6キロ 角界史上初の290キロ超え!」(2018年8月28日)/スポーツ報知(2020年4月17日)
計測後、大露羅本人はこう話しています。
「もっといっていると思った。不思議。300キロは超えない」
そして、自分の相撲人生についてはこう語りました。
「横綱、大関は勝つこと。自分は体重で名前が永遠に残ればいい」
小錦より重いって、もう別の生き物みたいだよね。
僕も大きい人とは何度も当たってきたけど、あのクラスになると当たり方から変えないと通用しないんだよなあ。
数字で見るより、実際に向かい合ったほうがずっとすごいよ。
一般的な力士と比べると
もう少し身近な比べ方をしてみます。
大相撲には体重別の階級がありません。つまり、292.6キロの力士と、その半分以下の力士が同じ土俵に上がることが実際にあるわけです。
僕が対戦したときは86キロでしたから、体重差はおよそ207キロ。約3.4倍です。
他の格闘技ではなかなか見られないほどの体重差ですが、相撲では起こりうることなんですよね。
実際の取組を見てみる
言葉で説明するより、実際の土俵を見ていただくのが早いと思います。
日本相撲協会の公式Xが、平成29年(2017年)11月26日、九州場所千秋楽の序二段の取組を公開しています。
<千秋楽>序二段取組。大露羅 突き倒し 上戸。#sumo pic.twitter.com/EudW5xUx30
— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) November 26, 2017
対戦している上戸(かみと)も、同じ序二段の力士です。並んで立った瞬間の体格差を見ると、292.6キロという数字が急に現実味を帯びてくるのではないでしょうか。
上戸は小柄な力士ではありません。日本相撲協会の公式プロフィールでは178.0センチ・156.4キロで、番付も幕下まで上げています(いずれも2026年8月時点)。
ただし、この取組は上戸の初土俵から1年目にあたります。
力士の体は、入門してから作られていくものです。朝から稽古で動いて、ちゃんこを食べて、寝る。これを何年も続けるうちに、少しずつ大きくなっていきます。
番付が上がるにつれて体重も増えていくのは、その積み重ねの結果です。
つまり映像に映っている上戸は、この156.4キロよりもかなり軽い、体を作っている途中の姿ということになります。
一方の大露羅は、この3か月ほど前の平成29年8月の健康診断で288.8キロを計測しています。並んだときの差がどれほどのものか、数字で説明するより映像のほうが早いと思います。
ロシア出身第1号としての歩み
大露羅は、単に重かっただけの力士ではありません。
ロシア出身として初めて角界の門をたたいた、開拓者でもありました。
10代で北の湖部屋へ
大露羅が初土俵を踏んだのは、平成12年3月場所です。ロシア出身の力士としては、これが第1号でした。
来日したのは、その少し前の1999年12月。北の湖前理事長と親交のあったコメディアンのポール牧さんの紹介で日本へ渡り、北の湖親方(第55代横綱)にスカウトされて入門しています。
もっとも、体が大きかったのは相撲を始めてからの話ではありません。本人がのちに語ったところによると、小学1年生の時点ですでに体重は100キロを超えていたそうです。家では床に寝て、教室では机をひとつ占領していたといいます。
そして来日した当時の体重は193キロでした。のちに292.6キロまで増えることになるので、力士生活のあいだにおよそ100キロ増えた計算になります。
参考:スポーツ報知(2020年4月17日)/デイリースポーツ「史上最重量力士・大露羅が引退 “オヤジ”故北の湖親方に感謝 第2の人生は母国で」(2018年9月21日)/アギンスカヤ・プラウダ紙 本人インタビュー(2025年12月5日)
いまでこそロシアやジョージア、モンゴルなど、さまざまな国の出身力士が土俵に上がっています。
けれど大露羅が入門した当時、ロシアから相撲界に入るということは、前例のまったくない挑戦でした。
最高位は幕下43枚目
大露羅の最高位は幕下43枚目です。
292.6キロという規格外の体格を思うと、意外に感じるかもしれません。関取(十両以上)には届かなかったということになります。
ただ、これは「重ければ強い」という単純な話ではないことを、そのまま示している記録でもあります。
重さは確かに武器になります。ですが、その重さを支えるだけの足腰と、土俵の上で動き続ける体力がなければ、番付は上がっていきません。
体重が大きくなるほど、膝や腰への負担も大きくなりやすくなります。
大露羅は平成12年3月場所の初土俵から平成30年9月場所の引退まで、およそ18年半にわたって土俵に上がり続けました。
その体で18年半というのは、それ自体が並大抵のことではありません。
北の湖親方を「オヤジ」と呼んだ
大露羅を語るうえで欠かせないのが、師匠である北の湖親方との関係です。
大露羅は北の湖親方の付け人を長く務め、親方を「オヤジ」と呼んで、父親のように慕っていました。
その北の湖親方は、平成27年(2015年)11月20日に亡くなります。
大露羅は、亡くなる1年前の親方と交わした約束について、こう語っています。
定年退職するまで頑張る、と約束した。
親方が生きていれば、引退の年がちょうど65歳の定年にあたる年でした。
そして師匠については、次のように話しています。
「外国から来て強くはなかったけど北の湖部屋に入れたのは一番良かった。一番感謝している」
日本については、こう語りました。
「日本は大好き、第2の故郷。相撲も最高」
引退を表明したのは、平成30年(2018年)秋場所の13日目でした。35歳。西序二段12枚目という番付でした。
その場所、大露羅は6連敗していました。
そして迎えた7番相撲。最後の一番で初白星を挙げ、有終の美を飾って土俵を去っています。
18年半だぞ、18年半。
あの体で毎場所土俵に上がり続けることが、どれだけしんどいか。
番付がどこで止まったかなど、オレは大した話だと思わん。
前例のない国から来て、最後まで続けた。それが本物の証だ。
元力士が土俵で向かい合って感じた大露羅
ここからは、実際に対戦した僕自身の話をさせてください。
数字では絶対に伝わらない部分だと思うので、正直に書きます。
立ち合いで頭から当たったときの感覚は、いまでもはっきり覚えています。
力が伝わっている感じが、まったくしないんです。
普通は、当たれば相手が多少なりとも下がります。ところが大露羅の場合、押しているはずの自分のほうが下がっていく。
壁を押しているのと変わりません。
それでも、当たっては押し、当たっては押しを繰り返しました。一発では動かなくても、続けていれば少しずつは動く。
そうやって、じわじわと土俵際まで持っていきました。
土俵際まで運んだところで、下手を取って投げを打ちました。
ところが、重すぎて相手の身体が動かないんです。
投げたはずなのに、まわしから指がすっぽ抜けてしまいました。その勢いで、僕は大露羅に背を向ける形になってしまったんです。
まずい、と思いました。背中を見せたまま押されたら、ひとたまりもありません。
すぐさま振り返って、応戦しようとしました。ところが大露羅は、すでにバランスを崩して土俵に両手をついていたんです。
僕は、その瞬間を見ていません。背を向けていたので。
正直に言うと、僕は長いあいだ、この一番を「引き落としで決まった」と思い込んでいました。
投げたという実感が、まるでなかったからです。
それくらい、投げには見えない倒れ方でした。
勝ったという実感よりも先に、ほっとした気持ちのほうが大きかったですね。
292.6キロが上から乗ってきたら、と考えると、いまでもぞっとします。
うわぁ、背中を向けちゃったのか……!
あれ、いちばん怖い形なんだよね。
押されたら何もできないから。
それにしても、投げても飛ばないってなんだよ。しんざぶろうさん、よく無事だったなあ。
なお、引き落としと叩き込みの違いについては、こちらの記事でくわしく解説しています。
大露羅の現在
引退後の大露羅がどうしているのか、気になる方は多いと思います。
引退を表明した際、大露羅は第2の人生を母国ロシアでスタートさせる意向を語りました。そして実際に、故郷であるブリヤート共和国のウラン・ウデへ帰国しています。
292.6キロから190キロへ
帰国後の大露羅は、減量に取り組みました。
2020年4月、本人がSNSで「私の体重は現在は190キロです」と公表しています。現役最高体重の292.6キロから、およそ100キロを落とした計算になります。
なお前年の2019年10月には日本を再訪し、鳥取市を訪れています。
参考:スポーツ報知「大相撲史上最重量の元大露羅が100キロのダイエットに成功…292・6→190キロに」(2020年4月17日)/鳥取市環日本海経済交流センター(鳥取市国際経済発展協議会)
この190キロという数字には、少し感じ入るものがあります。
1999年12月に来日したときの体重が193キロでしたから、大露羅はほぼ、日本にやって来た日の体に戻ったということになります。
2025〜2026年の大露羅
さらに新しい情報もあります。
2025年12月、ロシアの地元紙が大露羅本人に取材した記事を掲載しました。それによると、大露羅は故郷のブリヤートで暮らしています。
帰国後の歩みについては、本人がこう語っています。
はじめは事業を手がけ、その後は知的能力を鍛えるトレーナーの仕事に就いた。いまは妻とともに、式典やイベントの司会の仕事を考えている。
2024年にイベントでイリーナさんと出会い、取材では妻として紹介されています。翌夏には、北方仏教の聖地とされるアルハナイ山を二人で訪ねる計画も語っていました。
取材の直前には、地元で開かれたレスリング大会に名誉招待客として招かれています。
そして2026年2月には、別の現地メディアが近況を報じています。大露羅はTelegramでブログを始め、ブリヤート各地を訪ね歩いているそうです。
そのブログには、こんな一節があるといいます。
日出づる国で19年を過ごし、2018年に力士としてのキャリアを終えた。故郷の陽光あふれるブリヤートに戻ってからの7年も、新たな発見と試練に満ちた日々だった。
そして「日本には、力士は人々に幸福と繁栄と長寿をもたらすという言い伝えがある。自分もそのエネルギーを惜しみなく分かち合いたい」と続けています。
参考:アギンスカヤ・プラウダ紙 本人インタビュー(2025年12月5日)/МК Улан-Удэ(2026年2月24日)。いずれもロシア語記事からの要約・翻訳です
ここまでは、報道と本人の発信で確認できる事実です。
ただし、2026年8月時点で、減量後の体重がその後どうなったかについては確かな情報が確認できません。
インターネット上には近況を語る記事もありますが、出所がはっきりしないものが目立ちます。
そのため、この記事では現在の体重までは断定しません。
10代で来日し、35歳まで日本で相撲を取り続けた人です。
引退から7年が経った2025年末の取材でも、日本で過ごした日々を語っています。そしてブログには、力士は幸福をもたらすという日本の言い伝えを、自分も分かち合いたいと書いています。
「日本は第2の故郷」という言葉は、そのままの意味だったのだと思います。
来日したときの体重に戻した、か。
土俵を下りてからのほうが、よほど根気のいる戦いだったろうよ。
故郷に帰り、家族を持ち、いまは相撲がくれたものを人に配って歩いている。
いい生き方じゃねぇか。
大露羅に関するよくある質問
大露羅について調べていると出てくる疑問を、まとめてお答えします。
Q1. 大露羅の体重は何キロですか?
A. 日本相撲協会の公式プロフィールでは292.6キロです。身長は191.0センチとなっています。
なお力士の体重は計測日によって変わるため、資料によって多少前後した数字が載っていることがあります。
Q2. 大露羅の本名は何ですか?
A. ミハハノフ・アナトーリ・ワレリリェチェです。ロシア連邦ブリヤート共和国の出身で、昭和58年4月26日生まれです。
四股名は「大露羅 敏(おおろら さとし)」で、「敏」は下の名前にあたります。
Q3. 大露羅は歴代でいちばん重い力士ですか?
A. はい。2018年8月の健康診断で計測された292.6キロは、大相撲史上初の290キロ超えとなる歴代最重量の記録です。
それまでの記録は、大露羅自身が前年に計測した288.8キロで、さらにその前は元大関・小錦の285キロでした。
なお公式プロフィールの掲載値では、小錦が275.0キロ、山本山が266.0キロとなっています。いつの時点で計測した数字かによって変わるため、比べるときは基準をそろえる必要があります。
Q4. 大露羅の最高位はどこまでですか?
A. 幕下43枚目です。関取(十両以上)には届きませんでした。
体重だけで番付が上がるわけではない、ということがよくわかる記録だと思います。
Q5. 大露羅は今どうしているのですか?
A. 2018年秋場所を最後に引退し、故郷であるロシアのブリヤートへ帰国しました。
その後は減量に取り組み、2020年4月には本人がSNSで「現在190キロ」と公表しています。現役最高体重の292.6キロから、およそ100キロ落とした計算です。
2025年12月にロシアの地元紙が本人へ取材した記事によると、その時点でもブリヤートで暮らしています。帰国後は事業や知的能力を鍛えるトレーナーの仕事を経て、2024年に出会った妻とともに司会の仕事を考えているとのことです。
2026年2月の現地メディアの報道では、Telegramでブログを始め、ブリヤート各地を訪ね歩いている様子が伝えられています。
なお2026年8月時点で、減量後の体重がその後どうなったかは確認できないため、現在の体重までは断定していません。
まとめ
大露羅は、大相撲史上初の290キロ超えという記録を打ち立て、その名を角界に残しました。
そして、実際に向かい合った側からすると、その脅威は数字だけではありませんでした。押しても動かない重さ。投げても飛ばない重さ。背を向けてしまったときの怖さがありました。
しかし、大露羅が残したものは、最重量という記録だけではありません。
前例のない国から10代で海を渡り、師匠を「オヤジ」と呼んで慕いました。そして異国の、しかも大相撲という特別な世界で、18年半にわたって土俵に挑み続けたのです。
292.6キロは、そういう人生の一場面に付いた数字です。次に歴代最重量の話題を目にしたときは、その数字の後ろにこんな歩みがあったことも、少し思い出してみてください。
大露羅。つまりオーロラだ。
北の空にしか出ねぇ光の名を背負って、あの男は東京の土俵に立ち続けた。
そして今は、その光を故郷で灯している。
記録より、そっちのほうがよほど長く残るぞ。
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