相撲のねこだましはなぜ難しい?稽古で試してやめた元力士が解説
舞の海が土俵に上がっていたころ、僕も現役でした。
体の小さい僕にとって、さまざまな技を使って大きな相手と渡り合うその姿は、参考になるところがたくさんありました。ねこだましも、そのひとつです。
そこで稽古場で、自分より下の弟弟子を相手に真似してみたことがあります。
目の前で、パチンと両手を叩く。
ところが、相手を崩すどころか、次にどう動けばいいのか自分のほうが迷ってしまいました。
ねこだましは、驚かせれば終わりではありません。むしろ難しいのは、手を叩いたあとの相撲をどう取るかでした。
こんにちは!元力士のしんざぶろうです。
ねこだましとは、立ち合いで相手の目の前に両手を出し、手を叩いてひるませる奇襲です。
名前が付いているため、相撲の「決まり手」のひとつだと思われるかもしれません。しかし、ねこだまし自体は決まり手八十二手には入っていません。
手を叩くことは、あくまで相手の動きを乱すためのきっかけです。そこから横へ動くのか、懐へ入るのか。次の動きまで用意していなければ、自分の体勢や出足まで失いかねません。
この記事では、ねこだましとはどんな技なのか、なぜ決まり手ではないのか、実際の取組ではどう使われたのかを、僕自身が稽古で試した経験も交えて解説します。
うむ。ねこだましは、手を叩いたところがゴールではない。
相手がひるんだ一瞬をどう使うか。そこまで考えて、初めて仕掛けになるのだ。
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相撲のねこだましとは?両手を叩く奇襲の意味
ねこだましは、両手を叩く動作だけでなく、そのあとの動きまで含めて説明されています。
『相撲大事典』は、ねこだましを次のように説明しています。
立ち合いの瞬間などに、出てくる相手の目の前で両手をパチンとたたく技の名称。ひるんだ相手の動きのすきをねらって懐に跳び込み、足を取ったり、横や後ろに回り込んだりするねらいである。奇襲かく乱戦法である。
読み落としやすいのは、後半です。両手を叩くところは入口にすぎず、ねらいはそのあとに置かれています。
懐へ跳び込む。足を取る。横や後ろへ回り込む。事典はねこだましを、叩く技ではなく、叩いたあとに何かをする技として説明しています。
協会の説明も同じです。立ち合いと同時に顔の前で両手の平を叩き、相手が目をつむった瞬間に、自分に有利な体勢へ持っていく戦法だとしています。
なお、ねこだましは猫だましとも書きます。どちらも同じものを指します。
ねこだましは決まり手ではない
決まり手として記録されるのは、勝負を決めた技のほうです。
ねこだましは、決まり手にも非技にも入っていません。
※スマートフォンでは、表を横にスクロールできます
| 分類 | 数 | ねこだまし |
|---|---|---|
| 決まり手 | 82手 | 入っていない |
| 非技(勝負結果) | 勇み足・腰砕け・つき手・つきひざ・踏み出しの5つ | 入っていない |
ねこだましから懐へ入って寄り切れば寄り切り、体を開いて相手の肩や背中を叩いて落とせば叩き込み。記録に残るのは、ねこだましのあとに決まった技のほうです。
参考:『相撲大事典』第4版、金指基 原著、現代書館/日本相撲協会「決まり手八十二手」/同「大相撲クイズ No.611」
パチンと叩くところまでが技の名前だと思っていました。
でも記録に残るのは、そのあとに決まった技のほうなんですね。
なお、ここで名前を出した叩き込みについては、引き落としとの違いまで別の記事で解説しています。
ねこだましはどんな場面で出るのか
ねこだましが仕掛けられるのは、立ち合いの瞬間が中心です。そして、そこには仕掛けるだけの事情があります。
体格で劣る力士の奇襲として
立ち合いで正面からぶつかる展開では、体重の差は押し合いの有利不利に影響する要素のひとつです。
では、正面から当たって押し合う展開が不利だったらどうするか。当たり方そのものを変えるという選択が出てきます。相手の動きを一瞬でも止められるなら、体格で劣る側にはそれだけの意味があります。
ここまでの定義や実例から、ねこだましを考えるうえでポイントになるのは次の3つです。
- 立ち合いの瞬間が中心であること。相手と組み合う前の奇襲として使われます
- 相手との距離が近いこと。舞の海は「離れたところでは効かない」と話しています
- 叩いたあとの行き先。懐へ入るのか、足を取るのか、横へ回るのか
ねこだましは、小兵の力士が格上の相手に仕掛ける奇襲として知られてきました。体格で劣る側がこの手を選んだ例が、舞の海です。
ただし、小兵だけが使う技という意味ではありません。のちに触れる白鵬のように、体格で上回る力士が仕掛けた例もあります。
注文相撲との関係
事典がねこだましを奇襲かく乱戦法と呼んでいることは、さきほどの定義のとおりです。
注文相撲も、立ち合いで意図的に奇襲を仕掛ける相撲を指す言葉です。ねこだましと注文相撲には、奇襲という共通点があります。
どこまでを注文相撲と呼ぶのかは、立ち合いの変化や張り差しをどう扱うかまで含めた、別の話になります。
僕は立ち合いの直前、もう体が前に行こうとしてた。
そこで手を叩くとなると、当たりに行くのを一回やめることになる。
そんなこと、考えたこともなかったなぁ。
ちなみに、注文相撲がなぜ批判されるのかは、変化との線引きも含めて別の記事で書いています。
ねこだましの実際の取組例
ねこだましを使った力士として名前が挙がるのが、舞の海と白鵬です。使った理由も、土俵で起きたことも、二人でずいぶん違います。
舞の海がねこだましを始めたきっかけ
相撲博物館のトークショーで、舞の海はねこだましを始めた理由をこう話しています。
「大学時代から勝てない同級生がいました。幕下でも負けて、何とかしたいということで猫だましをやったら流れが変わるかなと思ってやりました」
勝てない相手がいて、その流れを変えたい。始めた理由がはっきりしています。
そして、勝つための手段として選んだからこそ、どう出せば効くのかというところまで突き詰めた言葉が残っています。
「できるだけ相手の目に近いところでやる。離れたところでは効かない」
舞の海は、叩く前から、何のためにやるのかと、どうやればいいのかを持っていました。
横綱・白鵬が使った2015年九州場所
2015年11月17日、九州場所10日目の福岡国際センター。当時横綱だった白鵬と、栃煌山の一番です。
立ち合いと同時に、白鵬は目の前で両手のひらを合わせて叩き、左へ動きます。前のめりになった栃煌山が残して向き直ると、もう一度叩きました。二度目です。
最後は右四つに組み止めて、寄り切りで勝っています。
見逃せないのは、この奇襲が思いつきではなかったことです。白鵬はその日の朝、土俵際に下がってから立ち合う稽古をして、「今日やろうかな。面白いでしょ」と何かをにおわせていました。
決行を決めた時期は明かしませんでしたが、「とっさではない」と、計画していたことを認めています。
支度部屋でも報道陣の前で手をたたき、こう話しました。
「うまくいったかどうかは分からないけどね。勝ちにつながったんでね。うまくいったと思います」
横綱が使ったことへの反応
一方で、熱戦を期待した場内からは痛烈なヤジが飛びました。
「横綱が、そんなんでええんか!」
「堂々とせい、堂々と」
北の湖理事長も、こう話しています。
「やられる方もやられる方だし、やる方もやる方。横綱としてやるべきことじゃない。前代未聞なんじゃないの?」
審判部の立場からも、同じ線引きが示されています。藤島審判長は「普通は小兵が奇襲でやるもの」としたうえで、こう話しました。
「反則じゃないから」
そのうえで続けたのが、「そういう相撲を取って、人がどう評価するか。値打ちをどう評価されるのか」という言葉です。
ここで問われたのは横綱としてどう見られるかであって、ルールの上で許されるかどうかではありません。実際にこの一番は、白鵬の勝ちとして記録されています。
参考:日刊スポーツ(2015年11月17日)/同(藤島審判長の見解)/同(2015年11月18日)
うむ。審判長みずから、反則ではないと申しておる。
そのうえで、人がどう評価するかは別だとも申しておるのだ。
横綱だからこそ、反則かどうかとは別に、横綱としてどう見られるかまで問われる。
勝ち負けとは別の物差しで語られる手は、ねこだましに限りません。張り手が卑怯と言われる理由は、別の記事で扱っています。
元力士から見た「ねこだまし」のリアル
ここまでに挙げたのは、土俵でねこだましを使った力士の話です。二人とも、叩いて終わりではありませんでした。
ここからは舞の海の話ではなく、その姿を手本にしていた、現役のころの僕の話になります。
叩くこと自体は、すぐにできました。手を前に出して、パチンと鳴らすだけです。
ところが、その手は相手に当たっていません。当たりに行っていないのですから、前へ出る力も乗らないわけです。
残ったのは、体勢も出足もなくした自分でした。
いま思うと、叩いたあとにどういう展開へ持ち込みたいのか、そこまで考えていませんでした。懐へ入るのか、足を取るのか、横へ回るのか。何も決めていない。それで手だけを叩いていたことになります。
そもそも、意図して稽古していませんでした。思いついたときに試すだけで、積み上げるつもりがなかったんです。
しかも、上手く行ったか行かなかったかを、感覚でしか捉えていませんでした。何が効いて何が効かなかったのかを言葉にできないので、次にどう直すかも決まりません。それでは積み上がりません。
自分には向かない技だ。当時はそう思って、それきりにしました。
舞の海には勝てない相手を何とかしたいという目的と目に近いところでやるというコツがあり、白鵬にはその日の朝から仕込んで「とっさではない」と言い切れるだけの段取りがありました。
僕にあったのは、やってみようという思いつきだけです。
僕が難しいと感じたのは、叩く動作そのものではありません。その一瞬だけ普通の立ち合いを捨てて、そこから次の動きにつなげなければならないところでした。
いま振り返ると、これは向き不向きの話ではなく、叩いたあとをどうするかを決めていなかったという準備の話です。
ねこだましに関するよくある質問
最後に、ねこだましについて寄せられやすい疑問をまとめておきます。
Q1. ねこだましは決まり手になりますか?
A. なりません。ねこだましは決まり手八十二手にも、勇み足・腰砕け・つき手・つきひざ・踏み出しの五非技にも含まれていません。
記録に残るのは、叩いたあとに決まった技のほうです。懐へ入って寄り切れば寄り切り、体を開いて相手の肩や背中を叩いて落とせば叩き込みになります。
Q2. ねこだましは反則ではないのですか?
A. 反則にはあたりません。日本相撲協会の審判規則が定める禁手反則は、握り拳で殴る、頭髪をつかむ、目や水月などの急所を突く、両耳を同時に両掌で張る、前立褌をつかむ、のどをつかむ、胸や腹を蹴る、指を折り返す、の8つです。
ねこだましはここに入っていません。両手を使うので4つ目と似て見えますが、ねこだましで手を合わせるのは相手の目の前であって、耳を張る技ではありません。
2015年に横綱がこの手を使ったときも、批判の中身は横綱としてどう見られるかであって、反則かどうかではありませんでした。
Q3. 横綱がねこだましを使うのは問題ないのですか?
A. ルールの上で禁じられている技ではありません。とはいえ、議論にはなりました。
2015年11月17日の九州場所10日目、当時横綱だった白鵬が栃煌山との一番で二度使い、最後は寄り切りで勝っています。
場内からはヤジが飛び、北の湖理事長も「横綱としてやるべきことじゃない。前代未聞なんじゃないの?」と述べました。問われたのは反則かどうかではなく、横綱としてどう見られるかでした。
Q4. ねこだましと注文相撲は同じものですか?
A. 重なる部分があります。『相撲大事典』はねこだましを奇襲かく乱戦法と説明し、注文相撲のほうも、立ち合いで意図的に奇襲を仕掛ける相撲を指します。
もっとも、立ち合いの変化や張り差しをどこまで注文相撲に含めるのかは、また別の整理が要る話です。
参考:日本相撲協会「大相撲クイズ No.711」(審判規則 禁手反則)
まとめ
ねこだましとは、立ち合いの瞬間などに、出てくる相手の目の前で両手をパチンと叩く奇襲です。決まり手八十二手にも五非技にも入っていないので、記録に残るのは、叩いたあとに決まった技のほうになります。
大事なのは、叩くところは入口だという点です。懐へ跳び込む、足を取る、横や後ろへ回り込む。僕のように、叩いたあとの展開を決めずに仕掛ければ、相手をかく乱する前に、自分の体勢や出足を失いかねません。
むしろ差が出るのは、叩く前です。舞の海には、何のためにやるのかと、どこで叩けばいいのかがありました。同じ手でも、そこまで用意できているかどうかで、まるで別のものになります。
次に立ち合いを見るときは、両手が鳴った瞬間ではなく、その直後に仕掛けた側の体がどちらへ動いたかを追ってみてください。
うむ。両手を打つ音は派手だが、勝負を分けるのは次の一歩だ。
音に驚いた者と、次の一歩を用意していた者。土俵で差が出るのは、そこよ。


















